リメンバーミー 悪役。 『リメンバー・ミー』、もっと面白くなる8つのポイント

リメンバー・ミー : 作品情報

リメンバーミー 悪役

この映画を見たのは偶然だった。 GWの最終日に何か映画を見ようとふらっと映画館によって 目についたのがリメンバー・ミーだった。 泣けるという広告や噂を聞いていたが、多少疑心暗鬼の心もあった。 だが2時間後・・・私は号泣していた。 死者の国の美しい背景。 キャラクターの繊細な動きや表情。 最高の歌声。 そして愛情深い内容。。。 やられた。 ピクサーアニメはほぼ見ているが泣いたのは初めてだ。 初めは何故涙があふれてくるのかわからなかった。 ただただ涙がとまらなかった。 後日、上映期間が迫っていたのだがどうしてももう一度見たくなり2回目も鑑賞。 上映終了間際だったので、お客は私一人でしたがやはり号泣(笑) 是非、リメンバー・ミーを見るときは言葉の意味「私を忘れないで」を意識してみてほしい。 感じるものがあれば幸いです。 日本にもお盆というものがありますが、正直に言うと大切にしていませんでした。 これからは心を入れ替えて大切な日にしたいと思う。 忘れないために・・・ リメンバー・ミー。 ホントに素晴らしい映画でした。 心が揺さぶられ、感動しました。 名作です よく出来たいい映画なんだろう。 感動もしたよ。 でも観ていてやるせない気分になってしまった。 だってこの映画、忘れ去られる側の人間はどう観たらいいのだ。 お前の人生は間違っているんだと突きつけられたような気分だ。 中盤で死後の世界からも消えてゆくおっさん、彼に救済は無いのかと思ってしまう。 一人の男が弔いの酒を呑んでくれただけか。 それは救いではなく救われ無さへの慰めでしかない。 彼のように写真を飾られない人たちの集落みたいなのがあったけどあの死者達はどうしたのだろう。 ただいずれ消えるだけか。 彼らには何の救いも無いじゃないか。 勧善懲悪的な構成も気になる。 悪役の彼にだってなにがなんでも名声を得なければ人々の記憶に残れないほど悲惨な人生の事情があったのかもしれないじゃないか。 ピクサーの映画はそういうの多いけど。 トイストーリー3のクマにだって悲しい過去はあったはずなのにそこには目を向けず笑いものにして終わっていた。 格差の拡大する今の世の中では孤独に消えていく命が多数あるだろう。 この映画も矢張りそこには殆ど目を向けない。 そういう命はどうでもいいのか。 要は、裕福で恵まれた人生を送っている人間ほど救われるという話だ。 勝ち組の為の物語だ。 なんてやるせないんだろうか。 ・生者の誰かの記憶に残っていること ・祭壇に遺影を飾られていること これらの条件を満たすには、特に後者は自分の血筋を残した上でその子孫が一定水準の文化的生活を送っていることが必須、要は幸福な生前を過ごした者ほど死後も幸福である可能性が高い。 逆に言えば不幸な人生を送った者は死後もみじめに消える可能性が高いということ。 高齢者の孤独死のニュースが流れているのに、この基本構造に疑問を抱かないのか不思議だ。 (2) 本作は勧善懲悪の物語であり、悪役として一人の男が登場する。 彼は過去にある悪事を行い地位と名声を得るがその悪事が発覚したことで失墜、名声を失う。 個人的にこれに因果応報的な爽快感は感じない。 IFの話をしてみる。 彼は後の名声を得られず貧しい人生を過ごすかもしれない。 では貧しくとも悪事を働かずに清く正しく生きれば最後に救われるのかと言えばNOである。 (1)で挙げた条件を満たせなければ彼はみじめな死後を迎えるのだ。 本作はそう言ってるのと同じだ。 (3) 中盤で死後の世界からオッサンが消えるシーン。 彼も含めた遺影を飾られない死者達には何の救済も与えられないまま物語は終わる。 主役のミゲルの周りの人達はみんな幸せになった。 だが、人生の敗者に対してはただ哀れんで終わりだ。 (4) なりふりかまわずに名声を得ようとした悪役の彼は正しくはないだろう。 だが作中の倫理観がこのような状態で彼の失墜を作り手と同じ感性で嘲笑する気にはなれない。 ミゲルとその周りの人達にだけ感情移入して細かいことを気にしなければ感動できる映画ではあると思う。 映像も良く出来ている。 ただ自分には一定水準の文化的豊かさと幸福な人生が普通に手に入るものだとでも思っているような本作は、弱者への眼差しを欠いているように思え、やるせなくなってしまうのだ。 [追記2] このレビューを読み、しょっぱい人生送るオッサンがみんなが楽しく観ているアニメに水を差す言いがかりをつけているように感じるひともいるだろう。 この映画ではあの世で2度めの死を迎えるのがしょっぱい人生を送っだだろうオッサンだからそう感じるのである。 「身寄りのない、他に親しい人も居ない、貧しくも慎ましく生きた孤独な夫婦の間に生まれた子どもが生後間もなく亡くなる」というケースを想定してほしい。 夫婦は亡くなった子どもが、せめて天国で幸せにいてくれたら、と願う。 しかし本作の世界では、この夫婦がこの世を去れば、この子どもは人の記憶から消え、死後の世界で2度めの死を迎えるだけなのである。 こういう構造の世界だよね?フィクションとはいえ、やるせなくない?…自分の考えがおかしいのかな? 四十路のおじさんです。 結論は、オッサンも大号泣できる素晴らしい映画です! ここ数年は子供の成長もあり、アナ雪以降は夫婦共にディズニー映画を見る機会が減っていました。 そんな中、先日『ぷーさん』を映画館へ見に行ったのがきっかけで、再度ディズニー映画の良さを確認できました。 そして、かみさんがリメンバーミーをレンタルで見たところ、大号泣したという話を聞いて即購入。 結果は、オッサンもラストで大号泣・・・ そして涙が乾く前に、そのまま2度目の視聴で中盤から大号泣・・・ かみさんは更に酷く、仕事中も思い出しただけで涙が出る状態。 (もしかしたら、同様の方もいらっしゃるのでは?) この映画は子供というより、大人が忘れていたもの、忘れてしまいがちな大切なものを思い出させてくれる、本当に奥の深い映画だと思います。 個人的にディズニー映画ランキング、1位です!!! ミゲル役の石橋君の歌は勿論、藤木さんや松雪さんの歌声も最高でした! オススメです! 「忘れる」ってそんなにダメなこと? 私は普段から「忘れる」は時に生物に与えられた救済措置だと思っているので、正直この映画を見て、死後の世界まで感情に振り回されるのかぁ…地位や名誉もある世界なの?だったら芸能人は得だなぁとか…すごくガッカリしましたね…。 死んでからもなお孤独感やら生きてた世界に未練タラタラな感情やら、こんなのどこに泣ける要素が?? 着飾ったり酒があったり、招待券だのコンテストで1位だの警備員よ捕まえろだの、もうイヤイヤ、疲れる疲れる。 鑑賞後は爽快感とはほど遠い、疲労困ぱいになりました。 先日見たベイマックスの鑑賞後は爽快感でいっぱいだったので、見る順番を間違えたと後悔しました。 死後の世界まで身分差や仕事やエンタメや…もうそんな俗世から解放されたくないのかしら…うんざりしますね… 忘れ「られた」とか「虚しさ」とか、もう今の現世で十分な負の感情を経験してるのでは?? なのにまだあっちの世界でも煩悩にとらわれたいの…? この映画を見て号泣する人って、きっと普段から「自分自分」でSNSで自己顕示欲を満たしたくなるタイプなのではないでしょうか?人の目や評価ばっかり気になって。 私はとっとと黄色くなって消えたほうがよっぽど救いだと思いますけどね。 生きてた証(あかし)とかそんなのただのエゴです、もっと謙虚な思考になったほうがラクですよ、子孫に忘れ去られるなんて、全然いいじゃないですか、血やDNAは受け継がれているのでは?いやいやそれすらもこだわる必要はないわけで。 この映画を見て号泣する人は普段から「自分自分」と、とらわれ過ぎて生きづらくないですか? ちなみに私は今の現世も幸せなほうの生き方をしているつもりです。 「あなた達の今は私のおかげよ」とか「死んでからも私を忘れないで、思って手を合わせて」とかっていう思考回路にはなりたくないですね、そんな先祖になりたくもない(笑) 子供には子供の(子孫には子孫の)人生があるわけで、ご先祖様を敬えって風潮は少し苦手、私はどちらかというと関係性の薄いご先祖様よりは、今を一緒に生きる我が子に「この子達のおかげで」って全力で思いながら感謝感謝の日々なので、この映画は合わなかったですね、子役の子の歌声はキレイだなぁとか、さすがピクサーの映像だなぁとしか…。 と言いつつ、でも、戦争経験者の方々や戦死なさった方々にはものすごく手を合わせたい気持ちになります、家族とか血のつながりはまったく関係なく。 「戦争」というものは絶対に後世に伝えるべきことであるからで、あの時代を過ごした日本人(上のほうの司令官とかではなく、指示に従っていたほうの人達や庶民の方々すべて)を敬わずにはおられません。 それはお盆の期間とか関係なく、常日頃から意識として日本人として持っていなきゃいけないと思います。

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リメンバーミー 悪役

「チャンスを掴め!」という決め台詞からもわかる通り、デラクルスというキャラクターが体現しているのは「何を犠牲にしてでも夢を叶えるべき」という考えだ。 そして、デラクルスに心酔しているミゲルは一度は家族に逆らい、生者の国に帰れなくなるかもしれないリスクを冒してでも夢を叶えようとする。 何を犠牲にしてでも夢を諦めない主人公の姿は一見美しい。 しかし、「リメンバー・ミー」は別の見方を我々に示している。 「我々はミゲルの道を複雑なものにしたいと思っていました」と、本作を手がけたリー・アンクリッチ監督は語る。 「彼は夢を追いかけたいと思っているけど、家族はその夢を認めてくれない。 でも彼はそれでも家族を愛しているのです。 デラクルスのような人は、気にせずチャンスを掴もうとし、他人を犠牲にしてでも夢を追いかけます。 でもミゲルはそうしたくない。 彼は家族を助けたいけど、同時に自分の望みを叶えたいと思っている。 私はその複雑さ、簡単な答えが用意されていないところが気に入っています」 アンクリッチ監督は映画の前半でミゲル自身も何が正しいことか確信がもてないでいると示唆する。 「ミゲルがデラクルスを見つけたいと思っている理由もその辺にあります。 ミゲルはデラクルスが自分の選択を後悔しているかどうか知りたいのです。 最終的にミゲルはデラクルスの真相を知り、一度は全く逆のこと、家族の為に夢を諦めようとします。 アンクリッチ監督によれば、このシーンはオリバー・サックスによる、認知症と音楽の関係性を調べた研究を元にしている。 「彼の研究により、多くの認知症患者が若かった時に聴いた音楽を耳にすると一時的に昔の自分を取り戻したり、意識がはっきりするということが明らかになりました。 それを最後のシーンに取り入れました。 残念ながら、それは現実的ではないからです。 ですが、ココはその瞬間だけ自分を取り戻し、ヘクターを救うのです」 「リメンバー・ミー」ミゲル(左)とダンテ 「リメンバー・ミー」の終盤ではメキシカン・ヘアレス・ドッグのダンテも大きな役割を果たす。 しかし、一度アレブリヘスとなったダンテはミゲルが生者の国に帰還した後も死者の国に残っている。 私が思うに彼はもともと本物の犬ではなく、最初からミゲルの案内役だったのです」とアンクリッチ監督は明かす。 「彼やペピータ(イメルダのアレブリヘス)は死者の国と現実世界を行ったり来たりすることができます。 本作で家族を再会させるという任務を果たしたダンテは、カラフルで翼が生えたアレブリヘスになります。 ですが、毎年、死者の日になると、橋を渡って普通の犬の姿に変わるのです。 ですから、どのスピリットアニマルにしても死ぬわけではないと思います。 ただ、そういう生き物なのです」 メキシカン・ヘアレス・ドッグは昔、死者の魂を黄泉の国へと導くと考えられていたという歴史もあり、ダンテは最初からミゲルの案内役として設定されてきたようだ。 このほか、「リメンバー・ミー」のリサーチがどのように行われたか、細かい設定がどのように決まったかを知るにはを読もう。 また、IGNラテンアメリカによるをまとめた記事もチェックしてほしい。

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リメンバーミー歌一覧&歌手の日本語声優!最後の曲名やミゲルやヘクターの吹き替えは?

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デラクルスについて デラクルスはメキシコで知らない人はいないほどの国民的なミュージシャンです。 音楽活動のみならず、映画にも出演し俳優としての活躍も行なっていました。 最期はライブの最中にスタッフがセットの鐘をステージ上に落下させてしまい、頭上に直撃したデラクルスは鐘に押し潰される形で圧死。 デラクルスが亡くなった後も彼の功績はメキシコ中で讃えられ、また、死者の国でもカリスマ的な存在です。 主人公のミゲルもデラクルスのようなミュージシャンになりたいと思っており、父親の顔だけが切り離されている家族写真から「自分の高祖父はデラクルスだから自分にはこんなに音楽の才能がある」と思っています。 死者の国で自分のことを高祖父だと思っているミゲルには、自分のモットーである「チャンスは掴め!」という言葉を送り、ミゲルの夢を後押しするシーンも。 しかし、デラクルスはミゲルが思っているような人ではなかったのです。 デラクルスが今まで行っていたのはすべて嘘であり、ミゲルの高祖父でもなければヘクターを毒殺した犯人。 本作の悪役 ヴィランズ でした。 最後は死んだの? ディズニーピクサー映画では、悪役は懲らしめられるのが定番の終わり方ですよね。 デラクルスもすでに死んでいながらちゃんと懲らしめられます。 その最後というのが、ミゲルとヘクターが洞窟に投げ落とされた際に、リヴェラ一族がデラクルスの悪事がカメラで撮っており、死者の国でバラされます。 その結果、非難を浴びたデラクルスは生前の最期と同じく巨大な鐘の下敷きとなります。 デラクルスの悪事がバレたのは死者の国だけではなく、生者の国にも知れ渡ります。 ミゲルの祖母であるココが持っていたヘクターに関する資料が決め手となり、デラクルスの悪事が生者の国でも広まります。 元々はヘクターの使用していたギターはミゲルの実家に返され、デラクルスのお墓は封鎖。 メキシコに建てられていたデラクルスの銅像には「Remember me」の反対の意味である「Forget you」と書かれた看板が付けられることに。 死者の国では、死者が生者の国の人の記憶から忘れ去られてしまうと徐々に弱体化が進み、「二度目の死」という名の消滅に向かうと言われています。 デラクルスの銅像に付けられた看板は、「忘れてやる」の意味が込められているので、まさに将来「二度目の死」を迎えることを暗示しているのです。 少し残酷な最期だと感じてしまいますが、ディズニーピクサーらしく誰もが納得する終わり方になっています。 ヘクターとの関係は? ヘクターはデラクルスとの関係を師弟関係と言っていますが、この2人は昔コンビで音楽活動を行なっていました。 作詞作曲はヘクターがすべて担当し、デラクルスは何もせずヘクターに依存していたのです。 2人でミュージシャンを目指す中、ヘクターは置いてきた家族への罪悪感で故郷に帰ることをデラクルスは反対しますが、意思の変わらないヘクターと最後に酒を飲み交わすことを提案。 了承したヘクターの酒にあらかじめ毒を入れ、苦しむヘクターに「チョリソーに当たったんじゃないか?」と嘘を吹き込み殺害します。 ヘクターが亡くなったことを確認したデラクルスは、ヘクターが持っていた楽譜、スーツケース、ギターを盗み、ヘクターが作った曲でソロ活動を始め、一気に国民的ミュージシャンの座まで登りつめました。 また、ヘクターを毒殺したことを自分のことのようにすり替え、自らが主演をする形で映画化までしてしまいます。 ここで思い出してほしいのが、デラクルスのモットーである「チャンスを掴め」です。 一見なんの変哲も無い言葉ではありますが、デラクルスの行動からこの言葉には「夢を叶えるなら手段と犠牲は選ぶな」という意味が含まれています。 作詞作曲はすべてヘクターが行ない、デラクルスはそれに依存していたため、コンビ解消となるとデラクルスは何もできずにミュージシャンを諦める選択肢しか残らなくなってしまいます。 しかし、デラクルスの有名なミュージシャンになりたいという夢から、たとえヘクターを殺害して曲を盗む行為は、デラクルスからすると「チャンスを掴んだ」という認識になるのです。 作中では「チャンスを掴め」の意味についてあまり深く表現されていません。 一度この言葉の意味を頭の片隅に置きながら、再度リメンバー・ミーを観てみてください。 まとめ リメンバー・ミーの悪役デラクルスについて紹介してきましたが、いかがでしたか? 見始めると、国民的ミュージシャンでミゲルの夢を後押ししていたデラクルスが、まさか悪役だったなんて想像がつかない展開ばかりです。 悪役でありながら生前のデラクルスは、ヘクターに憧れや劣等感を抱いていたのだなと感じます。 この記事を読んで悪役デラクルスのことをもっと知りたいと思った方は、是非一度リメンバー・ミーを観てみてください。

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