安室奈美恵 松浦勝人。 松浦勝人

松浦勝人とは

安室奈美恵 松浦勝人

最近の安室フィーバーを受けて、 色々な方から安室ちゃん と呼ぶことにします笑 の話を ふられることが多くなりました。 そこで、あまり詳しくない方から、 よく飛び出すのが 「小室哲哉のあの売れた曲なんだっけ。 えーっと『TRY ME 』!」。 待て待て待て、待てーいっ! 『TRY ME 〜私を信じて〜』は 小室さんの曲ではありません。 しかも安室奈美恵ソロ曲でもありません。 ソロになる前の 【安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S】 時代の曲です。 このあたりを混同している方が、 わりと多くいらっしゃるんですね。 ここでスーパー簡単におさらい。 1991年、SUPER MONKEY'Sでデビュー。 この頃の代表曲は『ミスターU. 』、 『愛してマスカット」。 この2曲は、近年、何度か コンサートでも歌われています。 いい曲なんですが、当時は なかなか思ったようなセールスは 出せませんでした。 その時のことを振り返り安室ちゃんはこう語っています。 デビューしたら、すぐに売れると思っていたので、2作目、3作目と ずっとヒットが出てくれないので焦りと「なんでだろう、なんでだろう」と 思った時に、私がセンターでメインボーカルを歌わせて頂いているから 多分、ヒットしないんだろうなと。 『告白 NHK独占インタビュー 』 思いつめた安室ちゃんは社長にも 「やめてさせください」と話したと言います。 なんとも今では微笑ましくて可愛らしい エピソードですが、もしこの後、 ヒット曲に恵まれていなかったら… 一体今ごろ、安室奈美恵は どうなっていたのだろうか…そう思うと、 この後、1995年『TRY ME~私を信じて~』 という曲に出会い、 大ヒットとなったことはファンとしては とてもありがたく 笑 、 拝み倒したくなるほど 何を? 、 涙ものな曲ですよね。 ちなみにこの曲は小室哲哉さんではなく、 MAX松浦さん 現・avex代表取締役会長 の プロデュース曲であり、 ユーロビート カバー曲です。 松浦さんありがとうございます! きらびやかなディスコが溢れていた80年代。 そこで流れていたのが華やかな パーティーチューン、 ダンスミュージック、つまりユーロビート。 このユーロビートを ずっと「日本向けに制作したい」と思っていたのがMAX松浦さんでした。 そこに抜群の歌唱力と圧倒的なダンスという パフォーマンス力を持った安室奈美恵が現れます。 まさに、新たな時代を作ろうとしていた 松浦さんのユーロビートの感性の波と、 安室奈美恵の存在がリンクした瞬間。 それが『TRY ME ~私を信じて』。 そして、その後も ユーロビート第二弾として 『太陽のSEASON』、 第三段として『STOP THE MUSIC』 どちらもカバー曲 がリリースされます。 しかし、この曲は 安室奈美恵名義、ソロとしてのリリース となります。 ここから安室奈美恵はソロとしての活動を スタートさせていきます。 これまで同じグループとして頑張ってきた、 メンバーといえば、言わずと知れた現在のMAX。 安室奈美恵と踊るMAXのダンスも 素晴らしかった。 それは事実でしたが、 どうしても安室奈美恵に目が集まってしまう。 それは過去に安室ちゃん自身が悩んでいた 「自分がメインだからダメ」とは真逆の理由。 ダンス一つひとつのフリ、立ち姿、ほとばしるエネルギー。 テレビの前にいる私たちには、 安室奈美恵の『オーラ』だけが 違ってみえるのです。 どうしても、どうやっても輝いて見えてしまう。 釘づけになってしまう。 これはもう同じグループにあっても どうしようもない事実でした。 今思えば、あれが芸能界の中でも限られた ごく一部、いや、 数十年に一度しか現れない 本物のスターだけが放つ 圧倒的な『スター性』だったのだと思います。 安室奈美恵は、初めから本物のスターでした。 「歌が好き。 ダンスが大好き。 でも、ダンスして歌うことが一番好き」 『告白』NHK独占インタビュー そんな一途な想いのまま、彼女は 『スーパースター』への道を進んで行きます。 ここで、誤解してほしくないのは、 彼女が初めから 【『スター』の星の下に生まれたから スーパースターになったわけではないということ】。 持ち合わせた才能や現状に満足することなく 努力を続け、 けっして平坦ではなかった人生という道のりを必死に生き、 時に戦い、時に涙しながら、 どんなときも逃げずに 生きてきたことを。 そしてそんな姿をファンはずっと見つめ、 彼女と共にここまで歩いてきたのです。 さて、話を元に戻します。 ここからいよいよ、小室哲哉プロデュースへと 繋がっていきます。 安室奈美恵の快進撃のスタートです。

次の

松浦勝人『一生に一人作れたらプロデューサーとしては…』と浜崎あゆみと安室奈美恵を語る!

安室奈美恵 松浦勝人

スポンサーリンク 浜崎あゆみ、松浦氏との恋を初告白 秘話綴られた本が出版 【初告白】浜崎あゆみ、自身の恋や秘話綴った本を出版 デビュー前夜からブレークまでの軌跡を綴った一冊。 当時のプロデューサー松浦勝人氏との壮絶な恋や、名曲の裏側が明かされるという。 — ライブドアニュース livedoornews 現在、自身最長となる2年越しのライブツアー真っ只中の浜崎あゆみ(40才)。 全国各地の会場を駆けまわっているさなかの8月1日、一冊の本が出版される。 タイトルは『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)。 17才だったあゆのデビュー前夜からブレークを遂げた1999年まで約4年間の軌跡が綴られている。 あゆとエイベックスの代表取締役会長・CEOである松浦勝人さん(54才)との壮絶な恋模様がつぶさに描かれていて、彼女の名曲誕生の裏側も明かされています」(レコード会社関係者) かつては「女子高生のカリスマ」と呼ばれたあゆ。 歌はもちろん、ファッションやメイクまで彼女の一挙手一投足が世間の関心を集め、安室奈美恵さん(41才)や宇多田ヒカル(36才)らをしのぐ人気を誇った。 あゆはまた、恋愛や結婚などプライベートでも多くの話題を呼んできた。 なかでも最もよく知られているのは、TOKIOの長瀬智也(40才)との恋だろう。 「2人の関係は2000年から7年間も続きました。 交際宣言をし、おそろいのタトゥーを入れて公然と関係をアピール。 海外旅行から帰国した時、報道陣の前を手をつないで歩いた2人の姿は今も鮮明に覚えています。 その後あゆは2度の結婚と離婚を繰り返し、そのたびに「長瀬との恋が尾を引いているのではないか」などと噂されてきた。 本の表紙を開くと、そこにあるのは《事実に基づくフィクションである》という一文だ。 この本の著者は、ノンフィクションライターの小松成美さん。 彼女は、著名人を丹念に取材するノンフィクションの名手として知られる。 「小松さんがあゆを長期間にわたって取材してまとめたのがこの本で、大部分は事実だと思われます。 福岡で育ったあゆは幼い頃に父親が蒸発し、母親と祖母の3人で暮らしてきた。 小学生の時にスカウトされてモデルデビューを果たした後、母や祖母とともに上京。 女優として活動し、家族を支えるようになる。 そんな中、東京・六本木のディスコ・ヴェルファーレのVIP席で出会ったのが、当時エイベックスの専務でカリスマプロデューサーとしてヒット曲を生み出していた松浦さんだった。 本書ではあゆのデビュー秘話についても触れられている。 《専務は、三人か四人のグループにして、そのボーカルに私を、と言った。 (略)私には無理。 グループの中では自分を表現できない。 (略)小学校の通信簿にも、六年間、協調性の欄に「努力しましょう」と書かれていた。 (略)一人でいれば、人の顔色をうかがわず、自分のペースで生きることができる》 そう考えたあゆは、松浦さんに「一人で歌わせてほしい」と直談判し、ソロデビューが決まったという。 やがて松浦さんに対して恋心を募らせるようになったあゆ。 彼女は楽曲のほとんどの作詞を手掛けているが、当時の詞に綴られていたのは、松浦さんへの切ない恋心だった。 《頭に思い浮かぶ語彙のすべては、その人への想いの偽りのない反映だ。 (略)ノートに書いた文章は、つまりラブレターだった》 1998年、ついにデビューを果たしたが、当初の評判は芳しくなかった。 一方で、彼女にかける松浦さんの情熱はすさまじく「浜崎あゆみは人気が出ない」と言い放つテレビマンに殴りかかろうとしたこともあったという。 次第に思いを抑えきれなくなったあゆは、松浦さんに気持ちを伝える。 そして、離婚し独身に戻っていた松浦さんは、あゆに運命的な告白をした。 《私がドアを開けると、スーツを着た専務が立っていた。 そして、(略)母に一礼すると、こう言った。 「あゆみさんと付き合っています。 真剣です」》 互いの思いを確認した2人は同棲を開始。 あゆは15才年上の松浦さんのことを「マサ」と呼び、忙しい合間を縫って愛を注ぎ合った。 交際に気づいたエイベックスの幹部らが猛反対したが、松浦さんは周囲を説得したという。 《恋愛に勝るパワーはない。 マサのそんな呟きを一、二度聞いたことがあって、私は勇気凛々だった》 ブレーク目前の歌姫とプロデューサーの禁断の恋。 決して世間に知られないよう細心の注意を払い、あゆは携帯電話の電話帳に愛する彼を「M」と登録していたという。 しかし、禁断の恋はほどなくして終わりを迎える。 互いに仕事に忙殺され、一緒に過ごせる時間はほとんどなく、すれ違いが生じ始めたのだ。 1999年のある夜、松浦さんが寝泊まりしているマンションを訪れたあゆの目に飛び込んできたのは、スタッフや美女たちと飲み会に興じる恋人の姿。 ショックを受けたあゆは誰にも告げずに2日半にわたってホテルに身を隠した。 「これは関係者しか知らない実話です。 2人の心の間には埋めようのない大きな溝が生じ、やがて破局を迎えた。 1999年の暮れのことである。 「松浦さんと別れたあゆは、その後、カリスマアーティストとなり、エイベックスの全売上の4割を叩き出すほどの存在になりました。 今思えば、あゆが松浦さん一人を思い続けていたら、数々の名曲は生まれなかったかもしれません。 そう考えたら、別れは正しい決断だったともいえるのではないでしょうか」(前出・レコード会社幹部) 別れから、20年を迎えようとしている現在、2人はアーティストとプロデューサーとして再びタッグを組んだ。 「最初、彼女は松浦さんとの恋を赤裸々にするのにかなり悩んでいた。 人気絶頂期にやめる歌姫が格好いいのは当然ですが、すべて赤裸々にさらけだし、泥くさくてもアーティストとして走り続けるあゆを、やっぱりすごく格好いい女だとわれわれは思います」(前出・レコード会社幹部) あゆの名曲の歌詞を引用しながら、歌姫の知られざる情熱と孤独を綴った本書。 読み終わった時、もう一度若き日の彼女の曲が聴きたくなる。 引用: ブレイク前の出来事のようですけど、確かに二人に交際の噂はありましたよね。 歌手とプロデューサーってことで禁断の恋だったのは分かりますけど、破局したんですよね。 そして2003年に再婚したのがモデルの畑田亜希さんということですね。 二人の女の子と一人の男の子がいるって事で3人の子供がいると言うことです。 現在も離婚などはしてないようですけどね・・・ ま、お金持ちのセレブ生活ですし離婚はしないんじゃないだろうか? 実際は離婚状態だとしてもねwww 現在はシンガポールに移住しているなんてはなしもありますけど・・ ま、夫婦生活はそれぞれあるので、他人がとやかく言うことはありませんよね。 全盛期の浜崎あゆみと「M」のモデルになったエイベックス社長・松浦勝人の恋愛を描いた最高の暴露本なんだけど、いまいち話題になってないから寂しい。 浜崎あゆみが書いた中学生のポエムみたいな帯だけで白飯8杯いける。 何でこんなの告白したかね。 — kyonchanmiyu kyonchanmiyu 浜崎あゆみが、松浦勝人さんとの過去の熱愛を告白とありますが、 松浦さんの1回目の結婚と、2回目の結婚と あゆの、長瀬くんとの恋愛と 時期を探られたり、かぶってる不倫だなんだと 色々な人を傷つけないか、心配になるのは、 年齢のせいでしょうか。 松浦さんは結婚していてお嫁さん、子供がいるわけですし、そんなの今更分かってもってかんじで、当惑しますよね・・。 そういうことは考えて欲しかったですね。 歌姫のそんな姿は見たくないって思いますけど・・・.

次の

松浦勝人『一生に一人作れたらプロデューサーとしては…』と浜崎あゆみと安室奈美恵を語る!

安室奈美恵 松浦勝人

小室「でも、これは声を大にして言いたいけど、社長のレスが世界一、早いよ!2秒後のときもあるし」 松浦「各方面との連絡で、日常的にケータイを開いている時間が長いだけで…。 ただ、小室さんの言うことには、いつも必ず何か意味があると思っています。 僕は小室さんに音楽業界のノウハウから売り方まで、全部を教わった人間なんで」 小室「僕の方が7歳上で業界の経験があっただけで、今はこっちが社長に甘えることもあるし、熟しきった関係だよね(笑)。 いずれにしても僕にとっては昔も今も大事な人です」 松浦「それは僕も同じです。 小室さんがいなかったら、エイベックスはなかったですから」 小室「90年代は音楽業界バブルで、エイベックスと僕のタッグがそのシンボリックな存在だったことは間違いない。 でも、そこに浸るんじゃなくて次のことを考えるにしても、熟した関係だからこそ、社長に『つまんねえよ』と言われないような提案にしないとだめだなと思ってます」 松浦「そんなこと言わないですよ!」 小室「でも、一方で今いちばん大切なのは、実は健康なんだよね(笑)」 松浦「わかります(笑)」 小室「ただエンタテイメントって、えり好みばかりしていてもいけない仕事で、セーブしちゃうと、途端に表に名前が出なくなる。 そうなると『あの人、どうしちゃったのかな』と思われてしまうので、自分も健康だけを考えてゆっくりだけもしていられなくて、どのくらい出て、どのくらい消えておけばいいのかを常に考えてます」 松浦「具体的に健康のために何かやってますか?」 小室「それがやってないんだけどね(苦笑)」 松浦「体は健康でも、精神的なストレスが拭えないから、どこが痛いとかじゃなくて、肩が凝るとか眠れないとかいう症状になる」 小室「社長はすごく繊細なんだと思う。 意外と僕のほうがいい加減。 もちろん眠れないことはあるけど『いつかは眠れる』と思えるし、格好つけるわけでなくて、眠れないときって詞を思い浮かべやすいんです。 『必ず夜明けは巡ってくるから』とかね。 そうすると得したなって思える。 つらかったり大変なときのほうが言葉は出てくるよね。 逆にメロディは鼻歌じゃないけど、気分が高揚してるときのほうが出てくる。 だから、いいことがあったらメロディを作って、落ち込んだら言葉を生んで、締め切りに間に合わせるっていう」 松浦「そして、僕は締め切りを調整するっていう(笑)」 小室「でも、社長のようにスキルチェックが厳しい人が相手だからこそ、売れるものになるんです。 いい番人ほど簡単には通してくれない」 松浦「ただ、当時は小室さんが何を言っているか、わからないこともありました。 なのに『それはこういうことですか?』と返すと、だいたい『うん』って言うから、理解するのが大変(苦笑)。 今は僕も経験を重ねてだいぶわかるようになりましたけど」 小室「僕自身も実は明解にわかっていないところがあって、まずは投げかけていたというか、口にしてみることが大事だったのかも」 松浦「確かに自問自答しているような感じはありました」 小室「ただ、アーティストやクリエイターの言葉を拾える人が、ビジネスのきっかけを生むことができるんだと思う。 もしかしたらすごく当たる可能性があるものでも、スルーされちゃったら、そこで終わりだし。 あのとき『え?』でなくて『わかりました』て言ってくれたから、『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜』が生まれたわけで」 松浦「当時の浜ちゃんの勢いを前に『何を言ってるんですか』とはならないですよ!」 小室「いずれにしても、社長は消費者の気持ちに立てる人なので」 松浦「でも、今は消費者のことをわかってると思うと間違えそうだから、あえてそう思わないようにしてます。 ちなみに、小室さんで売り上げ200万枚を超えたものは、初めて聴いたときから全部いい曲でした。 『WOW WAR TONIGHT』も絶対に売れるだろうなと思ったのを鮮明に覚えてます」 小室「僕の目論見は、ちょうど松本人志さんが『遺書』という1000円の本を出版して、100万部以上売れていたので、ダウンタウンのファンなら、相方の浜ちゃんの歌にも1000円くらい出してくれるんじゃないかっていう…。 ちなみにこの話、若い世代は知らない人もいるんじゃないかと思って、あえて話してますけど(笑)」 松浦「1995年のリリースなんで、もう20年以上前になるんだ」 小室「あと、社長とのやりとりで思い出すのは、一時期、日本の芸能界の時事ネタをまとめた『朝刊マックス』っていうメールを毎日送ってくれていたこと。 僕は当時LAを拠点に音楽制作をしていたんだけど、まだインターネットもない時代で、誰も教えてくれない情報を『朝刊マックス』で教えてもらっていました」 松浦「小室さんは忙しくて情報も取れないと思ったので勝手に送りつけてただけです(苦笑)。 毎日会社へ行って、最初にする仕事でしたね。 1年くらい続いたのかな」 小室「人生にはその時にはわからないことがあって、後になって『もっと有効に活用できたな』と感じることがたくさんあった」 松浦「人生の振り幅を経験して初めてわかることってありますよね」 小室「いずれにしても、今もちょこちょこ、こういう対談を通して世の中に出ていないと、当時の話も聞いてもらえなくなるんで(笑)」 インスタの利用目的とは? 松浦「小室さんにとってはインスタで発信することも、そういうことを意識してのアクションだったりするんですか?」 小室「世の中がどれくらいピュアに見てくれるのか、どれだけひねくれちゃっているのかっていう反応を見るためのテストみたいなものかな。 今みんなは前向きなのかネガティブなのかを、自分から発信すること試しているような感覚。 そこを遮断してしまうと、何もかもが怖くなって、縮こまって、本当に世の中がわからなくなってしまうので」 松浦「結果として、今の世の中についてはどう見てますか?」 小室「今朝も『インスタにこれが写り込んでいたら犯罪になる』みたいなニュースを見たんですけど、昔と比べて今は気にしなければいけないことが多すぎて、みんなストレスが溜まっているんじゃないかなと思います。 もはや『自由奔放』なんて言葉、あり得ないでしょ? 活字も第三者のユーザーを常に意識して書かなければいけないし」 松浦「昔は写真週刊誌だけでしたけど、今は誰でもどこでも写真を撮ることができますからね。 ところでニュースといえば、小室さんが今後、発信しようとしているプロジェクトとかはあるんですか?」 小室「『情報解禁』って言葉もいつできたんだろうと思うんだけど、まだ言えないことが多いかな…。 ただ、いろいろとプロジェクトが控えているので、楽しみにしていてください(笑)」 小室 哲哉(Testuya Komuro)1958年、東京都生まれ。 音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、キーボーディスト、 シンセサイザー・プログラマー、ミキシング・エンジニア、DJ。 83年、TM NETWORK(のちの TMN)を結成。 93年にtrfを手がけ、以後、篠原涼子、安室奈美恵、華原朋美、H Jungle with t、globeなどのアーティストをプロデュース。 アルバムとシングルのトータル売り上げ枚数は1億7000万枚を超えた。 他にも作曲家として幅広いアーティストに楽曲を提供。 2019年3月27日に、38年のキャリアを集約させた『TETSUYA KOMURO ARCHIVES PROFESSIONAL PRODUCTS』(完全受注生産)をリリース。

次の