寒河江 市役所。 山形県おでかけらくらく情報

寒河江市庁舎/Sagae City Hall

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山形県寒河江市の戸籍簿取り寄せ先役所

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2017年11月4日、寒河江市役所に行ってきました。 寒河江市は山形県の中央部に位置する人口約4万人の地方都市です。 県内随一のさくらんぼの産地。 毎年6月にはが開催される 2014年に国史跡になった、奈良時代からの古刹、があります。 本堂や所蔵する仏像の多くが国の重要文化財に指定されています。 「十二神将像」は昨年ローマ市における「」にも出品されました。 慈恩寺 本堂 (重要文化財) 1618年最上氏により築造。 によって見いだされ、聖武天皇の勅によって746年に創建したとされる。 現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院としてを称する。 竣工時、弱冠33歳。 今年で築50年を迎えたのを記念して、日本建築学会山形支所の主催でシンポジウムと見学会が行われ、私も参加しました。 寒河江市内の食品加工会社「日東ベスト」の工場が、黒川さんが設計料をもらって設計した初めての建物(事実上のデビュー作) であり、その竣工式に参加した当時の市長がそのデザインに一目ぼれして、黒川氏に市庁舎のデザインを委託したらしいです。 寒河江市庁舎を手掛けたころ(2年後)の黒川紀章(毎日グラフ 1969年8月24日) 黒川紀章といえば、1970~80年代にかけては、日本人の多くが「建築家といえばあの人を思い出す」といっていたくらい、一時代を築いた建築家です。 メタボリズムの騎手として華々しく世に現れて、晩年まで、「共生の思想」に裏打ちされた「大阪国際会議場」「国立新美術館」などの力強い建築をつくり続けました。 その黒川さんの初期の作品が山形県内にあり、「黒川さんは山形に育てられた」と言ったら、きっと建築を専門にしてきた人でも、たいがいは驚くでしょう。 山形県は、建築界からの最初の文化勲章受章者の伊東忠太の生まれ故郷(米沢)であったり、昭和11年に山口文象がモダニズム建築であるを山形市内につくったりと、意外にも近代建築の歴史と縁があることは今までもこの空間日記で紹介してきました。 そのことを考えると、あの黒川さんが後年の大作「」の発想の原点と自ら語った建物が、山形県寒河江市にあるというのも何やら不思議な力の導きかと思えてきます。 その建物がこの寒河江市庁舎です。 赤い金属葺きの屋根は当時と同じ色のままらしい この寒河江市庁舎と同じ年(1967年)に竣工した、山形ハワイドリームランドも黒川氏の設計。 7月21日に登録有形文化財に指定されました。 『』表紙 日本では一昔二昔前の、時代遅れの思想という感じでしたが、近年「日本のメタボリズム」はむしろ海外で脚光を浴びています。 世界的建築家でハーバード大学デザイン学部教授のとキュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストはメタボリストやその周辺にいた人々にインタビューを行い、その集大成として『プロジェクト・ジャパン』(2012年平凡社刊:原著2011年Taschen刊)という本にまとめました。 『プロジェクト・ジャパン』より レム・コールハースらからインタビューを受ける黒川氏 黒川氏は建築家であるだけでなく、著述家・思想家として多くの著作を残した。 (上の書籍の写真は『プロジェクト・ジャパン』より) 若き日の黒川(右)と磯崎(中央) 建築家・磯崎新は、盟友黒川紀章を、その追悼文の中で「日本ではじめて現われた最初にして最後のメディア型建築家」と呼びました。 階段などを入れた、4本のコアによって、3、4階部分が宙に浮いています。 2階には、執務室が増築されていますが(メタボリズムの思想にのっとって)、その前は3階の床下は、今よりももっと開放されており、より斬新な感じがしたでしょう。 スロープの赤い樹脂製の舗装は近年のものでオリジナルではない 2階 玄関ポーチ(風除室前) 岡本太郎デザインの取っ手が出迎える 2階から4階までを貫く、吹き抜けホール。 中央が岡本太郎デザインの光る彫刻「生誕」 日中はトップライトからの光で、中央のロビー空間は光で満たされる 2階の市民サービスの窓口と執務空間 2階から中央の吹き抜け空間を見る 平面図を見ると、4本のコアに支えられているのがよくわかる。 構造設計は松井源吾。 一度2階玄関より外に出て、シンポジウムの会場に向かう。 軒先は施工時は図面より5cm上げて施工したが、現在は図面より5cm下がった状態で止まっているという。 (当時施工に当たった方の話) プレストレス(コンクリートにPC鋼材というピアノ線のようなものを使って緊張を掛ける構法)導入のための固定端。 ガーゴイル(彫刻的雨樋)ディテール 寒河江市役所から徒歩3分ほどの寒河江市立図書館2階の会議室でのシンポジウムに参加 黒川紀章都市・建築設計事務所の亀井正弘氏による講演「寒河江市庁舎の建築」 黒川の事実上のデビュー作は寒河江市の「日東ベスト工場」。 その後も、寒河江市庁舎、山形ハワイドリームランド立て続けに若き日の黒川氏は、山形県内で実作をつくった。 「黒川紀章は山形に育てられた」と亀井氏は語る。 寒河江市庁舎は、その文化財的価値を尊重した市の意向により、黒川紀章都市・建築設計事務所が免振レトロフィットの耐震改修設計を行い、戸田建設・高木JVにより施工されて、建て替えせずにつかいつづけられることとなった。 島根県庁 山本大輔氏による講演 「まちのにぎわいを結ぶ公共建築」 島根県庁の周辺は優れたモダニズム建築が多い。 その価値は昭和45年度にすでに日本建築学会賞(業績賞)を受賞するほどであった。 島根県は、県民一人当たりの県有施設の面積が日本一。 189万㎡:東京ドーム41個分。 うち80万㎡が築30年以上。 何も対策をしなければ、今後30年で更新費4477億円。 これは年間の施設のメンテナンスに対する予算を考えると到底無理な金額である。 そこで島根県はファシリティマネジメントの取り組みとして、「島根県公共施設総合管理計画」(平成28年5月)を策定した。 その内容は1)施設の有効活用 2)施設の長寿命化 3)施設保有量の適正化。 モダニズム建築群の耐震改修。 モダニズム建築群の活用としてのライトアップの試み。 長岡市も郊外型ショッピングセンターなどの影響で、次々と中心市街地にあった大規模小売店などが撤退し、他の地方都市と同様の空洞化が生じていた。 そこに、市役所と、スポーツ、音楽、イベントなどに多目的に使えるアリーナや、研修施設などを併設した「アオーレ長岡」を建設して中心市街地ににぎわいを取り戻した。 「アオーレ長岡」の総事業費は131億円だが、国のまちづくり交付金と合併特例債で、長岡市の一般会計からは3億円程度の拠出であるとのこと。 (驚き) 年間450件を超える市民イベント。 基本的に営利目的以外の施設使用料は無料。 寒河江市立図書館2階会議室はほぼ満員の盛況 パネルディスカッション 講演を踏まえて、これからの寒河江のまちづくり、市庁舎のありかたを探っていく。 相田氏は、50年前に竣工した寒河江市庁舎において、市議会議場が1階に設置されていることに驚いたという。 「アオーレ長岡」の設計段階において、1階に市議会議場を置くことに、市会議員が猛反対していたからだ。 結局、設計者である、隈研吾氏の「市民に近い(なるべく目の届く)ところに議会をもっていきたい」という考えで1階に設置することに決まったが、議員は最上階に持っていくべきだと主張する人が多かったという。 亀井氏によれば、黒川氏も隈氏とおなじく、「市民から近い場所に議場を」と考えていたのではないかという。 議場は市役所の高い階に置かれることがおおく、長岡市同様の話はよく耳にする。 そもそも、なぜ、市民から選ばれた議員さん達が、市民と近い地上ではなく、高いところに議場をもっていくことに固執するのか、その理由がよくわからないが…。 司会は東北芸術工科大学の相羽康郎先生 2007年、2階市民ホールを改修した際にコンサートが開かれたそうだが、それが40年近くの年月のなかで初めてのことだったという。 おそらく、黒川氏の意図としては、いつもなにかイベントの行われる場としたかったのではないだろうか。 岡本太郎氏の光る彫刻がホール中央のかなり低い位置に固定されているが、人の頭より上の位置に、シャンデリアのようにつるされていた方が、よかったのかもしれない。 モダニズム建築としての市庁舎の歩むべき道は、耐震改修してそのまま使い続けるか、建て替えるかという二者択一になるわけだが、その文化的価値や、老朽化の度合い、機能的な充足度によって、方針が変わってくる。 寒河江市役所の場合は、近代建築の遺産としての価値、市民に愛されてきたシンボルとしての重要性を考え、免振レトロフィットという耐震技術によって保存されることになった。 免振レトロフィットは、世界遺産に指定された、東京上野の、ル・コルビュジエ設計の、国立西洋美術館でも行われた構法である。 市立図書館一階には、関連企画として、市庁舎やDOCOMOMO関連の展示がなされていた。 黒川事務所による、寒河江市庁舎の矩計図 黒川氏の直筆メモ 同じメタボリズムグループの菊竹清訓のスカイハウスとの感動的な出会い(1959)が寒河江市庁舎の建築につながったことが、黒川本人のメモからうかがえる。 菊竹清訓の「スカイハウス」 メタボリストの初旅行時の写真(1960年12月19,20日) 左から菊竹、浅田(孝)、川添(登)、黒川 後年の代表作、大阪府立国際会議場(2000年)のスーパードミノは、寒河江市庁舎の思想が原点にある。 そういわれてみればプロポーションは全然違うが、なんとなく面影があるような気がする。 東北にある、DOCOMOMO日本100選 図書館から市庁舎に移り、今回特別に、普段は見られない場所も含めて見学させていただきました。 建物全体を免振ゴムで浮かせて支える、「免振レトロフィット」工期は2年にも及んだという。 地上からタラップを降りて地下にある通常は無人の免震層へ。 既存建物全体を、一番下の地中梁からジャッキアップして、一度浮かせて、そのさらにひとつ下に基礎を構築。 地中梁を補強したうえで、両者の間に免振アイソレーターを設置し、ジャッキダウン。 前に見えているのが免振アイソレーター。 地震時は水平方向に60cmまで動いて、地震による水平力を吸収する(地面の水平の動きが上部の建物に伝わらないようにする役割) コア下のアイソレーター(支承ゴム) 丸印が積層ゴム支承、三角が弾性すべり支承 以下、上野の国立西洋美術館の写真が3枚入ります。 (日本初の免震レトロフィット事例) 寒河江市庁舎で使われた免振レトロフィットの技術は、日本では、東京・上野の国立西洋美術館(ル・コルビュジエの作品)の改修工事で初めて用いられた。 1997年に日経BP技術賞(建築部門)を受賞している。 (2017年11月19日撮影) 国立西洋美術館の地下には、免振層を見ることができる覗き窓がある。 (同上) 国立西洋美術館模型。 本館の地下部分が一旦、底版から浮かされていることが見て取れる。 (同上) 寒河江市庁舎に戻ります。 地下の免震層見学から、地上に戻り、1階 市議会議場へ。 (1階に設置された議会というのはもしかすると全国の先駆け?) 家具は天童木工製 議場は無窓だが、エントランスホールの床に仕込まれたガラスブロックから自然光が落ちてきて、日中なら完全に真っ暗にはならない。 寒河江市は県内随一のさくらんぼの産地。 山形県の全国におけるシェアが76%(2014年)なので、間違いなく日本一のさくらんぼの里である。 議長席からの眺め コアの中の階段室 4階部分より市民ホール上部をみる(夜の吹き抜け空間) WCも階段と同じくコアの中 上階から市民ホールを見下ろす 2階市民ホールの床タイル。 前川國男の東京文化会館とおなじものだという。 このころは使える素材も少ないだろうし、誰かが使っていて「いいね」となれば自分の作品にも取り入れるということが行われていたのだろうか。 2階市民ホールにつくられた台。 公衆電話でも置いていたのか?それにしては低い。 では用途は何か? 東北芸術工科大学の協力で、2階の市民ホールはリニューアルされた。 今から10年前(2007年)の出来事 2階市民ホールの空調は、このカウンターの下のユニットによって行われているようだ。 他に吹き出し口は見当たらない。 岡本太郎の光る彫刻「生誕」 それを支えるチェーンの下部を固定する御影石には、作品タイトルと、設計者と施工者の名前が刻まれている。 この市民ホールで市職員とシンポジウム参加者有志、計十数人による懇親会が開かれ、ノンアルコール飲料とおつまみで、しばし建築談議に花を咲かせました。 黒川さんの思い描いた、市民ホールの使い方とは本来このようなものだったのかもしれません。 寒河江市に、黒川紀章設計の市庁舎と岡本太郎の彫刻があることは、まだまだ全国的には知られていないと思います。 ここでも触れたように、メタボリズムは世界的に再評価の動きがあります。 当時まだ実作の少なかったメタボリスト黒川紀章が、機会を手にしてその思想を開花させた初期の代表作である市庁舎は、貴重な近代建築の遺産として世界的に価値のあるものです。 免振レトロフィットにより大きな地震でも損傷を受けることが少なくなり、この市庁舎の寿命は鉄筋コンクリート建築の限界まで伸びました。 さくらんぼに関連するイベントや、慈恩寺などの歴史的文化遺産で、最近ますます注目されている寒河江市ですが、この市庁舎も一つの観光資源として有効に活用しまちおこしを進めていっていただけたらと思います。 近代建築の保存・活用、市庁舎の可能性等さまざまなテーマについて勉強になったシンポジウムでした。 (ここに掲載した資料は、基本的にシンポジウムで配布されたもの、または掲示されていたものです。

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2017年11月4日、寒河江市役所に行ってきました。 寒河江市は山形県の中央部に位置する人口約4万人の地方都市です。 県内随一のさくらんぼの産地。 毎年6月にはが開催される 2014年に国史跡になった、奈良時代からの古刹、があります。 本堂や所蔵する仏像の多くが国の重要文化財に指定されています。 「十二神将像」は昨年ローマ市における「」にも出品されました。 慈恩寺 本堂 (重要文化財) 1618年最上氏により築造。 によって見いだされ、聖武天皇の勅によって746年に創建したとされる。 現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院としてを称する。 竣工時、弱冠33歳。 今年で築50年を迎えたのを記念して、日本建築学会山形支所の主催でシンポジウムと見学会が行われ、私も参加しました。 寒河江市内の食品加工会社「日東ベスト」の工場が、黒川さんが設計料をもらって設計した初めての建物(事実上のデビュー作) であり、その竣工式に参加した当時の市長がそのデザインに一目ぼれして、黒川氏に市庁舎のデザインを委託したらしいです。 寒河江市庁舎を手掛けたころ(2年後)の黒川紀章(毎日グラフ 1969年8月24日) 黒川紀章といえば、1970~80年代にかけては、日本人の多くが「建築家といえばあの人を思い出す」といっていたくらい、一時代を築いた建築家です。 メタボリズムの騎手として華々しく世に現れて、晩年まで、「共生の思想」に裏打ちされた「大阪国際会議場」「国立新美術館」などの力強い建築をつくり続けました。 その黒川さんの初期の作品が山形県内にあり、「黒川さんは山形に育てられた」と言ったら、きっと建築を専門にしてきた人でも、たいがいは驚くでしょう。 山形県は、建築界からの最初の文化勲章受章者の伊東忠太の生まれ故郷(米沢)であったり、昭和11年に山口文象がモダニズム建築であるを山形市内につくったりと、意外にも近代建築の歴史と縁があることは今までもこの空間日記で紹介してきました。 そのことを考えると、あの黒川さんが後年の大作「」の発想の原点と自ら語った建物が、山形県寒河江市にあるというのも何やら不思議な力の導きかと思えてきます。 その建物がこの寒河江市庁舎です。 赤い金属葺きの屋根は当時と同じ色のままらしい この寒河江市庁舎と同じ年(1967年)に竣工した、山形ハワイドリームランドも黒川氏の設計。 7月21日に登録有形文化財に指定されました。 『』表紙 日本では一昔二昔前の、時代遅れの思想という感じでしたが、近年「日本のメタボリズム」はむしろ海外で脚光を浴びています。 世界的建築家でハーバード大学デザイン学部教授のとキュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリストはメタボリストやその周辺にいた人々にインタビューを行い、その集大成として『プロジェクト・ジャパン』(2012年平凡社刊:原著2011年Taschen刊)という本にまとめました。 『プロジェクト・ジャパン』より レム・コールハースらからインタビューを受ける黒川氏 黒川氏は建築家であるだけでなく、著述家・思想家として多くの著作を残した。 (上の書籍の写真は『プロジェクト・ジャパン』より) 若き日の黒川(右)と磯崎(中央) 建築家・磯崎新は、盟友黒川紀章を、その追悼文の中で「日本ではじめて現われた最初にして最後のメディア型建築家」と呼びました。 階段などを入れた、4本のコアによって、3、4階部分が宙に浮いています。 2階には、執務室が増築されていますが(メタボリズムの思想にのっとって)、その前は3階の床下は、今よりももっと開放されており、より斬新な感じがしたでしょう。 スロープの赤い樹脂製の舗装は近年のものでオリジナルではない 2階 玄関ポーチ(風除室前) 岡本太郎デザインの取っ手が出迎える 2階から4階までを貫く、吹き抜けホール。 中央が岡本太郎デザインの光る彫刻「生誕」 日中はトップライトからの光で、中央のロビー空間は光で満たされる 2階の市民サービスの窓口と執務空間 2階から中央の吹き抜け空間を見る 平面図を見ると、4本のコアに支えられているのがよくわかる。 構造設計は松井源吾。 一度2階玄関より外に出て、シンポジウムの会場に向かう。 軒先は施工時は図面より5cm上げて施工したが、現在は図面より5cm下がった状態で止まっているという。 (当時施工に当たった方の話) プレストレス(コンクリートにPC鋼材というピアノ線のようなものを使って緊張を掛ける構法)導入のための固定端。 ガーゴイル(彫刻的雨樋)ディテール 寒河江市役所から徒歩3分ほどの寒河江市立図書館2階の会議室でのシンポジウムに参加 黒川紀章都市・建築設計事務所の亀井正弘氏による講演「寒河江市庁舎の建築」 黒川の事実上のデビュー作は寒河江市の「日東ベスト工場」。 その後も、寒河江市庁舎、山形ハワイドリームランド立て続けに若き日の黒川氏は、山形県内で実作をつくった。 「黒川紀章は山形に育てられた」と亀井氏は語る。 寒河江市庁舎は、その文化財的価値を尊重した市の意向により、黒川紀章都市・建築設計事務所が免振レトロフィットの耐震改修設計を行い、戸田建設・高木JVにより施工されて、建て替えせずにつかいつづけられることとなった。 島根県庁 山本大輔氏による講演 「まちのにぎわいを結ぶ公共建築」 島根県庁の周辺は優れたモダニズム建築が多い。 その価値は昭和45年度にすでに日本建築学会賞(業績賞)を受賞するほどであった。 島根県は、県民一人当たりの県有施設の面積が日本一。 189万㎡:東京ドーム41個分。 うち80万㎡が築30年以上。 何も対策をしなければ、今後30年で更新費4477億円。 これは年間の施設のメンテナンスに対する予算を考えると到底無理な金額である。 そこで島根県はファシリティマネジメントの取り組みとして、「島根県公共施設総合管理計画」(平成28年5月)を策定した。 その内容は1)施設の有効活用 2)施設の長寿命化 3)施設保有量の適正化。 モダニズム建築群の耐震改修。 モダニズム建築群の活用としてのライトアップの試み。 長岡市も郊外型ショッピングセンターなどの影響で、次々と中心市街地にあった大規模小売店などが撤退し、他の地方都市と同様の空洞化が生じていた。 そこに、市役所と、スポーツ、音楽、イベントなどに多目的に使えるアリーナや、研修施設などを併設した「アオーレ長岡」を建設して中心市街地ににぎわいを取り戻した。 「アオーレ長岡」の総事業費は131億円だが、国のまちづくり交付金と合併特例債で、長岡市の一般会計からは3億円程度の拠出であるとのこと。 (驚き) 年間450件を超える市民イベント。 基本的に営利目的以外の施設使用料は無料。 寒河江市立図書館2階会議室はほぼ満員の盛況 パネルディスカッション 講演を踏まえて、これからの寒河江のまちづくり、市庁舎のありかたを探っていく。 相田氏は、50年前に竣工した寒河江市庁舎において、市議会議場が1階に設置されていることに驚いたという。 「アオーレ長岡」の設計段階において、1階に市議会議場を置くことに、市会議員が猛反対していたからだ。 結局、設計者である、隈研吾氏の「市民に近い(なるべく目の届く)ところに議会をもっていきたい」という考えで1階に設置することに決まったが、議員は最上階に持っていくべきだと主張する人が多かったという。 亀井氏によれば、黒川氏も隈氏とおなじく、「市民から近い場所に議場を」と考えていたのではないかという。 議場は市役所の高い階に置かれることがおおく、長岡市同様の話はよく耳にする。 そもそも、なぜ、市民から選ばれた議員さん達が、市民と近い地上ではなく、高いところに議場をもっていくことに固執するのか、その理由がよくわからないが…。 司会は東北芸術工科大学の相羽康郎先生 2007年、2階市民ホールを改修した際にコンサートが開かれたそうだが、それが40年近くの年月のなかで初めてのことだったという。 おそらく、黒川氏の意図としては、いつもなにかイベントの行われる場としたかったのではないだろうか。 岡本太郎氏の光る彫刻がホール中央のかなり低い位置に固定されているが、人の頭より上の位置に、シャンデリアのようにつるされていた方が、よかったのかもしれない。 モダニズム建築としての市庁舎の歩むべき道は、耐震改修してそのまま使い続けるか、建て替えるかという二者択一になるわけだが、その文化的価値や、老朽化の度合い、機能的な充足度によって、方針が変わってくる。 寒河江市役所の場合は、近代建築の遺産としての価値、市民に愛されてきたシンボルとしての重要性を考え、免振レトロフィットという耐震技術によって保存されることになった。 免振レトロフィットは、世界遺産に指定された、東京上野の、ル・コルビュジエ設計の、国立西洋美術館でも行われた構法である。 市立図書館一階には、関連企画として、市庁舎やDOCOMOMO関連の展示がなされていた。 黒川事務所による、寒河江市庁舎の矩計図 黒川氏の直筆メモ 同じメタボリズムグループの菊竹清訓のスカイハウスとの感動的な出会い(1959)が寒河江市庁舎の建築につながったことが、黒川本人のメモからうかがえる。 菊竹清訓の「スカイハウス」 メタボリストの初旅行時の写真(1960年12月19,20日) 左から菊竹、浅田(孝)、川添(登)、黒川 後年の代表作、大阪府立国際会議場(2000年)のスーパードミノは、寒河江市庁舎の思想が原点にある。 そういわれてみればプロポーションは全然違うが、なんとなく面影があるような気がする。 東北にある、DOCOMOMO日本100選 図書館から市庁舎に移り、今回特別に、普段は見られない場所も含めて見学させていただきました。 建物全体を免振ゴムで浮かせて支える、「免振レトロフィット」工期は2年にも及んだという。 地上からタラップを降りて地下にある通常は無人の免震層へ。 既存建物全体を、一番下の地中梁からジャッキアップして、一度浮かせて、そのさらにひとつ下に基礎を構築。 地中梁を補強したうえで、両者の間に免振アイソレーターを設置し、ジャッキダウン。 前に見えているのが免振アイソレーター。 地震時は水平方向に60cmまで動いて、地震による水平力を吸収する(地面の水平の動きが上部の建物に伝わらないようにする役割) コア下のアイソレーター(支承ゴム) 丸印が積層ゴム支承、三角が弾性すべり支承 以下、上野の国立西洋美術館の写真が3枚入ります。 (日本初の免震レトロフィット事例) 寒河江市庁舎で使われた免振レトロフィットの技術は、日本では、東京・上野の国立西洋美術館(ル・コルビュジエの作品)の改修工事で初めて用いられた。 1997年に日経BP技術賞(建築部門)を受賞している。 (2017年11月19日撮影) 国立西洋美術館の地下には、免振層を見ることができる覗き窓がある。 (同上) 国立西洋美術館模型。 本館の地下部分が一旦、底版から浮かされていることが見て取れる。 (同上) 寒河江市庁舎に戻ります。 地下の免震層見学から、地上に戻り、1階 市議会議場へ。 (1階に設置された議会というのはもしかすると全国の先駆け?) 家具は天童木工製 議場は無窓だが、エントランスホールの床に仕込まれたガラスブロックから自然光が落ちてきて、日中なら完全に真っ暗にはならない。 寒河江市は県内随一のさくらんぼの産地。 山形県の全国におけるシェアが76%(2014年)なので、間違いなく日本一のさくらんぼの里である。 議長席からの眺め コアの中の階段室 4階部分より市民ホール上部をみる(夜の吹き抜け空間) WCも階段と同じくコアの中 上階から市民ホールを見下ろす 2階市民ホールの床タイル。 前川國男の東京文化会館とおなじものだという。 このころは使える素材も少ないだろうし、誰かが使っていて「いいね」となれば自分の作品にも取り入れるということが行われていたのだろうか。 2階市民ホールにつくられた台。 公衆電話でも置いていたのか?それにしては低い。 では用途は何か? 東北芸術工科大学の協力で、2階の市民ホールはリニューアルされた。 今から10年前(2007年)の出来事 2階市民ホールの空調は、このカウンターの下のユニットによって行われているようだ。 他に吹き出し口は見当たらない。 岡本太郎の光る彫刻「生誕」 それを支えるチェーンの下部を固定する御影石には、作品タイトルと、設計者と施工者の名前が刻まれている。 この市民ホールで市職員とシンポジウム参加者有志、計十数人による懇親会が開かれ、ノンアルコール飲料とおつまみで、しばし建築談議に花を咲かせました。 黒川さんの思い描いた、市民ホールの使い方とは本来このようなものだったのかもしれません。 寒河江市に、黒川紀章設計の市庁舎と岡本太郎の彫刻があることは、まだまだ全国的には知られていないと思います。 ここでも触れたように、メタボリズムは世界的に再評価の動きがあります。 当時まだ実作の少なかったメタボリスト黒川紀章が、機会を手にしてその思想を開花させた初期の代表作である市庁舎は、貴重な近代建築の遺産として世界的に価値のあるものです。 免振レトロフィットにより大きな地震でも損傷を受けることが少なくなり、この市庁舎の寿命は鉄筋コンクリート建築の限界まで伸びました。 さくらんぼに関連するイベントや、慈恩寺などの歴史的文化遺産で、最近ますます注目されている寒河江市ですが、この市庁舎も一つの観光資源として有効に活用しまちおこしを進めていっていただけたらと思います。 近代建築の保存・活用、市庁舎の可能性等さまざまなテーマについて勉強になったシンポジウムでした。 (ここに掲載した資料は、基本的にシンポジウムで配布されたもの、または掲示されていたものです。

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