朝吹真理子 高校。 朝吹真理子が読む、村田沙耶香の“まじめに狂った”最新自選短編集『生命式』

TIMELESS

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磯田道史さんと朝吹真理子さん 『TIMELESS』を書きあぐねていた朝吹さんに、大きなヒントを与えてくれたのが磯田道史さん。 ある夜、二人の乗ったタクシーが六本木通りを走っていたとき、磯田さんがおっしゃいました。 「このあたりは江姫が火葬された場所なんですよ、ご存じですか?」 *** 磯田 いまこそ読みたい作品が眼前にあらわれた、こんなに大きな文学が久しぶりにこの国にあらわれたんだな、というのが『TIMELESS』を読み終えての感想です。 朝吹 ありがとうございます。 磯田 高校の同級生だった「うみ」という女性と「アミ」という男性が出てきます。 海というのはすべてが一体化する、混在化する象徴ですよね。 「アミ」は私の解釈では網、『人形の家』のノラを閉じ込めたような家の壁ではなくて、引っかかりはするけれど、すり抜けられるもの。 朝吹 はい、男女どちらかわからなくなる、溶けていく名前がいいなと思って、自然と決まりました。 書いているとき自分でもよく間違えてしまいました(笑)。 「アミ」はフランス語の友だちamiからきていますが、「網」と読み取ってくださったのはとてもうれしいです。 磯田 『TIMELESS』というタイトルですが、「タイムレス」だけでなく「ボーダレス」を描く小説でもありますね。 日本家族の一九〇〇年体制といいたいが、愛しあった二人が夫婦になる、愛情と結婚が一体となっている。 明治前期まではなかったその制度をわれわれは百二十年近くつづけてきた。 明治天皇の死に殉じた乃木希典夫妻がその偶像になった。 戦後、一九四五年体制になっても、少しバージョンが変わっただけで、女の子は「かわいい」を連発し、恋愛はしなくてはならないもののままでした。 でも、われわれはもうそれとは違う新段階に入っている。 『TIMELESS』は、社会の骨組みがどう変わるのかを、作家の勘で暴きだしている。 近代がやってきたことの過ちの原因を哲学的に説いている小説だと思います。 「うみ」は高校時代、「クラゲに生まれ変わりたい」と言っていますね。 クラゲは、外界の環境と細胞壁というもっとも薄い壁で接して暮らしている生きものです。 近代というのは、あらゆるものに壁をこしらえて、自と他は確実にちがう、個は個として存在するという考えが基本で、国家という鎧、あるいは家という鎧で個を守り、それが剥がされると、今度は「あなたと私」という恋人同士の鎧をつくったけれど、それもどんどん剥がされていった。 クラゲは恐ろしいことに六億年、形を変えずに生きている。 つまり自分と他者のあいだに違いを認めない生きものがじつはきわめて永続性が高いということを冒頭から指摘しているんです。 人間が死んで腐るメカニズムについても、理系の文章のように懇切丁寧に書かれてある。 六十兆個、いまは三十七兆個という新説がある人間の細胞と四百種以上の揮発性有機物が混ざりあい、バクテリアが分解し、それがあたりにちらばっていくと。 われわれは核というもっとも近現代的な科学に西洋の真似をして手を出したあげく、酷いしっぺ返しを受けた。 そこから新しい考えが出てこなければと思いながら暮らしていたのですが、とうとう出てきた。 『TIMELESS』は翻訳され、世界中の人たちが読むべき小説だと思いました。 四百年前の六本木 朝吹 『TIMELESS』という小説は磯田さんと会わなければ生まれなかった小説なので、そんなふうに読んでいただいてとてもうれしいです。 何年か前、新聞で対談をさせていただいた帰り道にいっしょにタクシーに乗っていたとき、磯田さんが、このあたりは江姫が火葬された場所だとふいにおっしゃった。 東京ミッドタウンの前がちょうど江姫の火葬地だったと。 磯田 そう、日本史上、香木をもっとも大量に焚いた場所だと言いましたね。 そのころ僕は放射能の拡散がすごく気になっていて、煙が拡散してゆく話を史料で見ただけで鳥肌が立つほどでした。 そして、その煙がたなびいたあとに沿って、鉢形にお寺が並んでいる。 江姫のお葬式をしたお坊さんたちに、匂いがしみついてしまった土地を分け与えたんです。 その延長上に、『TIMELESS』に出てくる我善坊(がぜんぼう)谷があるわけですね。 朝吹 はい。 『きことわ』を書いたあとすぐに、「TIMELESS」というタイトルは早々に浮かんで、恋愛感情を抱けない女の子と被爆者の祖母をもつ男の子が、恋愛感情のない生殖のやりとりをする。 そんなふたりの後ろ姿が浮かんでいたんですが、二人がどういう道行きをするのかがずっとわからなかった。 六年書けませんでした。 そのあいだいつも頭にあったのが、酒井抱一の「秋草鶉図屏風」なんです。 屏風絵のなかに若い男女が歩いていて、いつまでも出られないというイメージだけがあった。 それと、写真家志賀理江子さんの写真。 宮城県名取市の北釜に彼女のアトリエがあったのですが、三月十一日に流されてしまった。 彼女が北釜で撮った作品に、松林の沼のなかを、霧がかってよくみえないなか手を繋いで歩く老夫婦の写真があるんです。 そのふたつが頭の中で重なっていたのですが、書きはじめると数行しか書けず、それも毎日一行を書き直して流転してしまっていました。 そんなとき磯田さんが江姫の話をしてくださって、ふたりが歩いているのは現代と並行的に存在する四百年前の麻布が原だったんだと思いました。 六本木通りの渋滞に、抱一の屏風絵と江姫の燃えた煙の帯、四百年前の麻布が原が重なってみえて、登場人物のうみとアミがいつまでも歩きつづけているという光景が眼前に飛び込んできました。 あいまいな境界 朝吹 磯田さんが古文書をご覧になるとき、かつて生きた人の心の中に何があったかをずっと探していると伺いました。 磯田 体温がある、どんな人間も死んでしまいます。 なにをどのように考えても、人間は生きているから、その体温で必ず溶けてなくなってしまう。 春の淡雪のように。 でも誰かがそれを見ていたら、それが消え残ってつながっていくんですよ。 僕は一瞬あらわれた淡雪のような考えをとどめておきたい。 「こんなのがあったよ」と見てもらうのが僕の仕事なんです。 だから古文書を漁って日本中を歩いている、という話をしましたね。 朝吹 磯田さんが古文書に感じている「淡雪性」と私が小説にとどめたいと思っているものは、どこか同じものがあるのではないかなと思っています。 私もまた、淡雪が体温で溶けてゆくその瞬間、その人が命を燃やしていた、もう決して帰れないその時間に近づきたい、言葉によってその瞬間を探したいのだということを、「淡雪」という言葉によって教えられました。 俵屋宗達の絵の話もしましたね。 磯田 俵屋宗達の絵は『TIMELESS』に近いところがあると思います。 「たらし込み」という、水の中に墨が自然に拡散していく様を活かした技法があるんですが、その技法を取り入れて成功をおさめた最初の画家がおそらく俵屋宗達です。 その「たらし込み」の技法が『TIMELESS』にも通ずると思う。 朝吹 台詞なのに、どっちがしゃべっているのかわからない書きかたをしている部分があるんです。 磯田 それも文学における「たらし込み」だと思います。 輪郭線をわざとぼかす書きかた、ボーダレスですね。 どちらが言っているのかわからないというのは、平安文学などを読んでいるとしばしばある。 国語の試験ではどちらの言葉かちゃんとわからないと答えが出せないけれど、古典のなかには、しばしばどっちが言ってもいい台詞がありますよね。 朝吹 はい、そう思います。 磯田 日本の近代についてもう少しお話すると、バージョン1、一九〇〇年体制というのはよるべがありすぎるわけです。 天皇という柱を立てて、所属する組織、国なり家なり村なり軍隊なりのよるべがある。 戦後はGDPの規模にすがったけれど、もうそれもない。 さらにAIによる労働の時代がそこまできている。 人間の労働とは違って、AIには時給がない。 つまり労働と時間が切断される。 まさにタイムレスな事態が現実化しつつある。 江戸時代までは、最短の時計の目盛りは十五分でした。 近代は時間の区切りをつくることが本当に好きだから、学校であれば、一校時目、二校時目とか、何時間勉強したとか言うけれど、江戸時代を見ている人間からすると、勉強が完成するのはその人が本当に心底わかったときですよ。 わかったと思えば三秒でもいい。 わからなければ三十年でもいい。 それが人間というものなんですけれど、近代は、授業の時間数を単位として、それを受ければわかったと見なすという約束事でできあがっている。 でもこの近代社会の約束事もだんだん壊れてきている。 よるべない人びと 朝吹 クラゲみたいに自と他をあいまいにしているものに、なかなかいまの人間はなじめません。 でも実際は、自だと思い込んでいる体がまずいちばんの他です。 自覚がないけれど病があると言われてはじめて気づいたりします。 しゃべっているときも、どっちの発言なのか曖昧になることってたくさんあります。 お互いに浸食しあって、自と他がかなり溶けあっているところが多いはずで、そのほうが人間としてはむしろ自然なはずだと思うんです。 なのにそれを引きはがして個と個をはっきりと区別するという考えかたや体制には軋みがうまれていて、かなりつらい生を強いられているということはずっと感じています。 /人を焼く臭ひでも してくれ。 /さびしすぎる。 」(現代詩文庫『釋迢空詩集』研究より)。 壊滅的に家や建物が倒壊し、亡くなった人もそこいら辺にごろごろしていて、すさまじいよるべなさなんだけれど、本来そうやって生がある清々しさのようなものもほんの少し感じて、『TIMELESS』を書きながらよく思いだしていました。 磯田 『TIMELESS』の第二部にあたる後半は、二〇三五年という未来の視点から書かれていますね。 そこでは南海トラフ地震がすでに起こっている。 生きものってやっぱりこういうものだと思うんです。 べつに官能を求めているわけでも、恋愛というのでもなくて、池の中の鯉がなんとなく並んで泳いでいるような感じ、それはやっぱりあるだろうと。 朝吹 わずかな風で吹き寄せられた木の葉とか、なんとなく潮目に流されていっしょになったクラゲとか。 そういう感じの、すっと寄ってまた離れて、というような固定的ではない人間の情けがあるのではと思います。 寄り添いあったり離れたりするのが人らしいなと思うんです。 磯田 フランスの社会学では離合する近年の集団をノマド的と呼んだりしていたけれど、捉えきれていない気がしていました。 『TIMELESS』は、文学のなかから近未来の姿を思考実験する小説ですね。 もうすぐ二〇二〇年、平成が三十一年目にして終わろうとする直前にこの小説が読めたことはとてもうれしい。 朝吹 ほんとうにありがとうございます。

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朝吹真理子が読む、村田沙耶香の“まじめに狂った”最新自選短編集『生命式』

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Contents• あらすじ 主人公は 貴子と 永遠子。 「きこ」と「とわこ」だから、『きことわ』。 二人の年の差は7つ。 永遠子のほうがお姉さん。 貴子と 永遠子が最後に会ったのは、25年前の夏。 当時、 貴子は小学3年生で8歳、 永遠子は高校1年生で15歳だった。 貴子の家の別荘の管理人が、 永遠子の母親という関係。 貴子の母親が子供好きということもあり、かつて 永遠子は 貴子の別荘に足繁く通い、海辺で一緒に遊んだり、とりとめのない時間を過ごした。 特に 貴子は幼かったので、自分と 永遠子がどういう関係にあったかも理解していないくらいだった。 そして二人は疎遠になり、時間が一気に流れる。 25年後、 貴子が33歳、 永遠子が40歳の時に、かつての別荘が解体されることが決定。 そのタイミングで二人は再開し、幼い日の思い出や近況報告やかつて見た「夢」のことについて語り始める…。 しかしこの小説を既に読まれた方は、私が言わんとする事を共感してくださるのではないでしょうか。 感想・考察 この本を手にとった経緯 芥川賞作品を片っ端から読むぞ!と意気込んで手にしました。 恐らく、「話題になった面白い小説」だけを追っていたらば、出会えなかった作品だと思います。 当時、芥川賞選考委員の方々からも大絶賛されたという『きことわ』。 どんな話なんだろう?と思っていたら、実家に帰省中に本棚に発見。 家族の誰かが持ってたらしい。 絵画みたいな小説 セリフに比べて地の文が圧倒的に多く、 そこに情景を両手いっぱいに文章で切り取ったかのような繊細な描写がなされていて、まるで絵画のようです。 長いですが、一段落丸々引用します。 その夜は、うすく靄がかかったように銀河がみえていた。 永遠子は、自分が惑星に住んでいることをひさしく忘れていた。 これが「しし座流星群」か。 自分と百花の真上に空があったことにすら驚いていた。 数百から数千個もの流星群を観察できることを、ほとんどつけているばかりだった夕暮れのニュースでアナウンサーが言っていた。 寒気が強く、月齢2の細い月がかかっているのも星にまぐれてよくわからない。 近視がかった永遠子の目には、流星も月も違わず、ただぼんやりとひかってみえる。 火球のオレンジ色が風に流れ、タチウオやリュウグウノツカイにもみえる、永続痕をのこす。 それが夜空の上から下へと垂直におちた。 そうしたひかりは、眠りばなにまぶたの奥に散る、光源のわからないひかりに似ていた。 彗星のちりが垂直におちてゆくのをながめ、この彗星に立つことの憂鬱やよろこびがごたまぜになったまま、呆然と百花を抱えていると、かつて春子が貴子を抱きしめていたとき腕がもげそうに重いと言った、春子の垂れ下がった目尻を、ふと思い起こした。 春子がずいぶんと昔に死んだ人のようには思えなかった。 貴子や和雄は元気だろうか。 かつての幼い自分のことまでも懐かしく胸にこみあがる。 どこかでいっしょに空をながめているようにすら思えていた。 星が落ちる。 起きている人と眠っている人とのあいだに分け隔てなく夜がただ過ぎてゆく。 ひたすら流星が落ちるのを目の前のこととしてただみあげていた。 そのまま、身体が宙に放たれてゆくような、同時に、北太平洋の海面下約一万九二〇メートル下のマリアナ海溝まで落ちてゆくような、浮かびまた沈む意識がふと途切れて、翌朝、百花の泣き声で起きたのだった。 あれはどこからが夢だったのだろうか。 『きことわ』朝吹真理子 「こんなことがあったなあ」「あんなことがあったなあ」「あの人はもう死んでしまったなあ」と、ただぼんやりと思う。 日記的に綴られていく。 ふと、まるで 現代版・枕草子のような作品だと気づきました。 自分が日本語を母語としていることを嬉しく感じます。 大袈裟かw 実は正直、読んでいる最中ウトウトしてきて、寝落ちしてしまったのですが、それもこの 夢と現実の往復を描いたような作風に引き込まれたからかなと。 他の純文学・芥川賞作品の中には、人間をありのままに切り取るがあまりにグロテスク・下品な描写がなされているものもありますが、 この『きことわ』は ずっと上品な文章が続いていました。 貴子も 永遠子も、ジブリ映画に出てきそうな上品な女性です。 それも、杓子定規にルールを守ろうとするような教科書人間みたいな真面目さではなく、内面から溢れ出るお淑やかさです。 まあ、別荘を所有してるくらいだからね 恐らく意図的に ひらがなを多用したであろう文体も、作品の上品さをブラッシュアップするのに役立っているように思えます。 ただ、これを「読みにくい」と感じる人もいそう.

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向田: そしたら事業も上手くまわるのだろうと思う。 私だったら自分がそう感じたのなら、抱きしめることはしない。 抱きしめないけれど、帰国してビジネスか、助成金等でお金を集めて、孤児院の子どもたちが清潔に暮らせるようにすると思う。 抱きしめられて、かつそれができたら一番良いと思うけれど、自分のなかにそういう気持ちがあるのならただのパフォーマンスになってしまうから。 朝吹: 抱きしめることはタダだし、一回きりで終わってしまう。 一般的な慈善事業では、異臭がする子どもを抱きしめることが美しいと思っている人もいるかもしれない。 でもそれは、美しい瞬間ではないと思う。 向田: 私がネパールで感じる美しい瞬間は、貧しいのに子どもたちの笑顔が可愛いとか、そういうことではなくて、そこにいる人たちの暮らしぶり、生活のなかで垣間見える人々のちょっとしたしぐざや視線、壮大な自然や壊れかけているように見える街のたたずまい。 たとえば暗闇とか星空。 カトマンズはデートにもってこいだと私は思っていて。 友だちが運転するバイクの後ろに乗せてもらった時、空を見上げてみると、たくさんの星が見えて、宇宙空間をふわふわ飛んでいるようで。 そういう景色がすごく好き。 誰にも伝えられない美しい瞬間が私のなかに降り積もっている。 これこそが、私にとってこの仕事を続けている理由だと思う。 子供たちの笑顔がかわいいということと合わせて。 そういうリアルな感情の在り方をもっと伝えられるようになったら、私のなかでバランスがとれていくのかもしれない。

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