千と千尋 神様 よきかな。 『千と千尋の神隠し』の8つの謎とは?知れば知るほど面白い!

千と千尋の神隠し

千と千尋 神様 よきかな

この記事で分かること• ハクは湯婆婆の弟子だけど「ウザい」存在? まず、 千と千尋の神隠しで通説となっている彼の設定について見ていきましょう。 「千と千尋の神隠し」の設定上、ハクは温泉施設「油屋」の主人かつ、経営者である 湯婆婆の弟子ということになっています。 千尋と同じく、ひょんなきっかけから湯婆婆たちの世界にあらわれ、強力な魔法使いでもある 湯婆婆の弟子入りを果たしました。 この決断に周囲は反対しますが、それとは裏腹に湯婆婆の下についた彼。 その結果、湯婆婆の手先のような存在として油屋に所属することになった。 というのが、映画上での大まかな設定ですね。 湯婆婆の側近とも言える存在だったことから、油屋の従業員の中では比較的上の立場にいるようです。 ただ皆から尊敬されながらも、態度は冷たく冷淡。 千尋の姉貴分であるリンからは「 ハクみたいな奴が2人もいたら、たまったものではない」と愚痴を言われる始末… ハクは「川の神様」だったが、その正体をなかなか思い出せなかった 「千と千尋の神隠し」の世界にやってきた人間は、 自分が誰なのか正体をしっかり覚えておかないと元の世界に帰れなくなってしまうと千尋はハクから忠告されます。 そのハクも自分はどこからやってきたのか、その正体がもう思い出せず苦労しているとも言っていましたよね。 Sponsored Link しかし物語の終盤になって、ようやくハクは 自身の正体を自覚するのです。 そう、彼の正体とは「 川の神様」。 ハクは千尋が住む家の近くにあった「琥珀川」 コハクガワ の神様で、「 ニギハヤミコハクヌシ」という名前を持っていたと、作品の最後の方でやっとハッキリしますよね。 それなのに、千と千尋の神隠しの世界に迷い込んだことで名前を湯婆婆に取られることに。 そして「ハク」という名前だけ残されて、この世界で生き続けていたということになります。 それが絶体絶命の時期を千尋に助けられたことにより、ハクはようやく 自分の名前と正体を悟ったのです。 不思議なことに千尋が物語の世界に入ってきた時、ハクは彼女のことを覚えていた反面、彼女はハクに全く心当たりがありませんでした。 しかしストーリーの後半では、ようやく千尋もハクのことを思い出し彼の正体について口を開くのです。 と言うのも、千尋はハクが神様となっている 川に落ちた経験があったからです。 それに気づいた川の神・ハクが千尋を救い出し、無事に両親の元まで送り届けたということになっています。 日本には800万もの神様が存在するとされ、木や川など至るところに神様がいると信じられています。 要するに、ハクの正体は「 日本に存在する川の神様だった」ということ。 千と千尋の神隠しでは、ハクは常に千尋の味方となって助け役でしたが、終盤になって彼女に助けられる…こんなストーリーだったら、大抵の人は感動しちゃいますよね。 ハクのもう一つの正体…それは「白竜」 そうかと思えば、ハクは「 白い竜」に姿を変えることも出来ます。 この姿は千と千尋の神隠しの中盤から確認することができ、物語の中でも大事な部分を担っていますね。 実はこの白い竜も、 ハクの正体だったという見方があるのです。 千と千尋の神隠しの中で、ハクとは別に川の神様が登場するシーンを思い出してみてください。 最初はゴミや泥にまみれた汚い姿で油屋をパニックに陥れますが、汚れを落としたあとは神様らしく神々しい姿になってご機嫌よろしく油屋を後にします。 ハクもこの神と同様、川の神様ですよね。 つまり度々登場する白竜とは、神様が時空を超えて移動するときに「 その存在を世に示すための姿」と考えることが出来るそう。 だとすれば「 白竜=ハクの正体」と捉えて良いのかもしれません。 ただ「千と千尋の神隠し」を観ていると、彼は自分の正体を知る前ですら白竜の姿で銭婆の魔法の契約印を盗まされたり、それによって銭婆から制裁を受けたりと… 神様ながらも不遜な扱いを受けていてかわいそうですよね。 普段は少年の姿をしつつも、様々な側面が垣間見えるハク。 もう二度と元の世界に戻れないと思いきや、無事に正体を思い出せて何よりでしょう。 彼の正体を知った上で「千と千尋の神隠し」を視聴すれば、また違った楽しみが味わえそうです。

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千と千尋 神様 よきかな

こんにちは。 大学で外国の生徒に向けて日本映画について英語で講義することになりました。 個人的に大好きな映画「千と千尋の神隠し」を選んだのですが、この映画は日本人ですら、すこし難しい内容と思えます。 ・油ばあばの存在、油屋の意味、カオナシ・ハクとの関係など、説明できるか自身ありません。 自分で考えた中で、日本らしさとして説明しやすいだろうと思えるのは、 ・着物を着ている。 (千尋は作業着らしきものですが、) ・ハクの名前の由来のように物には神の名前や昔の地名がよく使われること。 ・題名から「神隠し」の意味。 自分ではこれくらいしか考えられず、困っています。 この映画の中で、日本らしい、と思える事、物があれば教えてください。 よろしくお願いします。 映画が大好きな私の永遠のテーマというか目標は「言葉が通じない人同士が同じ映画を見て、同じ読後感を味わえること」です。 そういう意味でも、「日本らしさ」というよりは、「日本人が見て、すんなり理解できるところと難解なところの差」がどの程度、外国人に伝わっているのかが私は気になりますね。 たとえば、普通に日本で暮らしている人なら子供でもわかりますが、あの映画は「日本らしい」というよりは、むしろ、「現代の日本では、ほぼあり得ない風景」だと思うのです。 では、どこにあの風景があるかといえば、夢の中は別として、少し昔の日本であったり(昭和初期の電車など)、もっと昔の日本であったり(元禄時代の風呂付娯楽所??)、更には交流のあった異国であったりします(中国そっくりの町並み)。 そういうものが、ごく当たり前の今の日本の風景(冒頭と最後の家族とのシーン)と対比しているのが、あの映画の醍醐味だと思うのです。 しかし、日本を知らない人は単純に「現実と幻の交錯」程度にしか思わないかもしれませんよね。 シーンによっての「なつかし度」の違いが薄いというか。 もうひとつ気になるのは、街のいたるところにあった「目」という看板。 日本人なら、あの看板を見て感じる当たり前の感情が、海外で放映されたものやDVDにどの程度反映されているのでしょう(おそらく反映されていない)。 実は、『千と千尋~』を見てしばらくして、私は中国の蘇州を訪れたのですが、そこに、あの町並みがありました。 名物の豚肉料理も、映画に出てきた食べ物と雰囲気がピタリと一致しました。 ああいう感じ、もしも生徒さんの中に中国系の方々がいらっしゃったら、ちょっと話をふってみるのも面白いかもしれません。 こんにちは。 この映画は全編日本情緒あふれる一本ですが、皆さんが触れていらっしゃる「八百万の神々」の他には、「銭湯文化」そのものが日本独特のものではないでしょうか? 娯楽施設、社交場としてのお風呂屋さん。 ローマ時代のイタリアには有ったみたいですけど、現代ではね。 あと、湯婆々の部屋の前に飾ってあった大きな二つの壺、あれのモデルはおそらく幕末、佐賀藩がパリ万博に出品してヨーロッパの人々を感動させた有田焼の大壺だと思います。 それと、「油屋」という屋号は、別府温泉を日本で最初の複合レジャー施設にして成功した油屋熊八に由来していると思われます。 この人は例の温泉マークの発案者とも言われていますが、これには諸説あるみたいですね。 ちょっと反れちゃいますが、この作品を各国の方に観てもらって印象的なシーンを語るり合う、と言う番組を以前観ました。 日本人は涙シーン(ハクから貰ったおにぎりを頬張る場面)、雄大な景色 ヨーロッパ系の人は幻想的なシーン(千尋がハクの正体は琥珀川だと気づいた瞬間の場面) アメリカ人はアクションシーン(千尋が建物外の階段から転げ落ちる場面。 大爆笑していました。 ) だったかな?それぞれツボが違ったようです。 また、カオナシの存在意味は海外の人は全く理解できなかったようです。 日本人は宮崎ワールドを知っているのでまだ大丈夫でしたが。 この作品というよりアニメ全体になりますが、海外の方にとって日本のアニメには独特な何かがあると言っていました(肝心な「何か」を忘れてしまいました・・・)。 日本のアニメは評価高いですしね。 そう言うポイントももしお伝えできれば・・・。 もっとも日本らしいのは、あらゆるもの(川などの自然から日常雑器にいたるまで)が「神」となること。 これは日本人以外にはなかなか理解されにくいのではないかと思います。 いわゆるアニミズムやシャーマニズムともちょっと違いますしね。 それと、名を禁じることによってその存在を縛る「言霊信仰」。 映画というのは、一本で一つの作品ですから、作品全体に流れるテーマから捉えていく必要があると思います。 出てくる要素が日本の物であるというだけでは、日本らしいという事を言うのは難しいでしょう。 日本人の精神であるとか、嗜好であるとかそういったものを捉える必要があるのではないでしょうか。 あるいは、日本人としてどういった部分に惹かれ、どういった部分に感動するのかということを考えてみて下さい。 わたしは、外国の文化の方に疎いので必ずしも適任とは言えませんが、わたしが感じるのは例えば、、、 自然、特に川に対する畏敬の念。 多神的な考え方。 自然からの略奪の否定。 お化け カオナシ に対する接し方。 異形のものも受け入れる精神 一生懸命働く千尋の姿。 だれかが助けてくれる 強欲の否定。 出てくるものとしては、木の屋敷や大衆浴場、田舎の風景も日本特有の文化だと思います。 A ベストアンサー (2)です。 何を置いても一番の理由は「ジブリ」「宮崎駿」の知名度が上がったことだと僕は思います。 絵、演出、音楽と作品全体の質も当然上がって来てはいますが、 その点は普段それ程映画を観ない一般の方々にはそれ程影響を与えてはいないでしょう。 それよりも、80年代に青春期を過ごし、ジブリの作品に触れた世代の方々が大人になり、 そのまた子供さん達もテレビのロードショウ等で繰り返し旧作に触れることで、 絶対的な知名度も上がり、ファン層を拡大している。 知名度が上がれば、子供達の間の潜在的なジブリファンの新しい芽生えの機会がマスコミ等を媒介とすることで増えるし、 本来それ程興味のない方も家族・友達にいるそれらファンの付き合いとして見に行かざるを得なくなるでしょう。 (その証拠に、「もののけ姫」・「千と千尋」の大ヒットの裏側には、不満の意見が旧作より断然多く出て来たと個人的に強く感じます。 大ヒット=多くの満足とは行かず、同時に多くの不満足も出て来ていると言うことです) 昨今国際的映画賞の獲得等によりジブリの知名度はますます上がる一方です。 そして、この推測に依ると、次回作も間違いなく大ヒットすることでしょう・・・。 それから(3)です。 個人的には面白かったです。 特に本作の人物(キャラクター)描写は宮崎作品の中でも特に凝っており、 例えば「顔なし」は主人公の千尋と同様友達がおらず、家族さえもいるのかどうか分からない。 第一の個性である顔を持たず、名前もないに等しい、他者を食べること(他力に頼ること)でしか力を持ち得ない。 思春期の収穫である自己同一性を全く剥奪されたキャラクターなのです。 友達(千尋)の為にはそれが悪いことでも盲従的に何でもやり、拒否されるとヒステリックなまでに暴れ出す、極めて純粋で繊細なキャラクターであり、このキャラクターは引っ越しによって友達を失った千尋の弱い内面の投影とも言えるのでしょうが、千尋は彼に対して努めて優しく接し、守ってあげます。 (これがまあ所謂本作の少女の成長に繋がるのでしょう) 次に「ぼう」です。 独裁的な支配者である魔女「油婆」の息子である彼はまさに支配者階級の申し子とでも言うが如く、醜く肥大化していて、我が儘で、甘ったれで、尊大で、極めて強圧的に振る舞います。 このキャラクターに対し最初は母親にすがるようだったあの千尋は理知的で年上らしく、 つまり「お姉さん」らしく振る舞う成長を見せます。 そして「はく」。 この人物は最初、不思議な世界へ迷い込んだばかりの千尋を助けてくれる「ハク馬の王子」様です。 つまり純粋な少女を両親の手から奪いとる(憎っくきw)王子様なわけで、千尋は両親のためにとって置いたお団子をカレにあげます。 (これも成長と言えば成長ですけど・・・お父さんはショックでしょうね。 )、また頼れる素敵な王子様であると同時に、弱みを握られ悪に利用される、愚かでか弱い動物でもあります。 加えて恋人としての役割を果たすと同時に、最終的には幼い頃からずっと千尋を見守っていてくれた友達(自然)という役目も持っています。 以上のようなキャラクター設定などもなかなか滋味深いものがありますし、 相変わらずのメッセージ、例えば「自然と人間の共存」(お腐れ様)、またそれを次代を担う若者が救うとか(よきかな~)、日本的な和風世界を西洋の独裁的な「魔女」が支配するという近代文化への投げかけなどなど、教育の面から観てもよいでしょう。 個人的には宮崎監督お得意のノスタルジー、 例えば夕暮れ時の電車のシーンなどが特に印象に残りました。 以上、手前みそな話を長々どうもすいませんでした・・。 (笑) (2)です。 何を置いても一番の理由は「ジブリ」「宮崎駿」の知名度が上がったことだと僕は思います。 絵、演出、音楽と作品全体の質も当然上がって来てはいますが、 その点は普段それ程映画を観ない一般の方々にはそれ程影響を与えてはいないでしょう。 それよりも、80年代に青春期を過ごし、ジブリの作品に触れた世代の方々が大人になり、 そのまた子供さん達もテレビのロードショウ等で繰り返し旧作に触れることで、 絶対的な知名度も上がり、ファン層を拡大している。 知名度が上がれば、子供達の... 専門家にいわせればもっと分析して、環境汚染がどうだ戦後の豊かさがどうだ成長と旅立ちがどうだ…と、言えるのでしょうが、私にはそんなことはわからないし、ただ、自分が笑えて泣けたことがすべてです。 でも人はえてして、自分の過去にわずかにでも接点があることでなければ感動はしないと思うし、本当の意味での「わかる」というのは共感でしか得られない部分があると思います。 今回、yyukkyさんがまったくこの作品に感銘を覚えなかったのは「たまたま」今までのyyukkyさんの過去において、この作品と共感できる経験がなかっただけではないでしょうか。 だから、本当にそれは「たまたま」なことだと思います。 Q ディズニーとアメリカ文化の関係について、レポートを書いているのですがいくつか疑問点があります。 よかったら皆さんのご意見を参考にさせてください。 ディズニーの童話を元にした長編アニメ(白雪姫、シンデレラ、ピノキオ、リトル・マーメイドなど)は原作のストーリーを細かく変更して、人々に受けいれ安い話に変えています。 それともディズニーそのものがアメリカの文化となってきていると言えるのでしょうか。 日本とアメリカではディズニーへの親しみや認識は違うものなのか、それとも同じようなもなのか、よくわかりません。 なので想像しづらくて。 まとまらず解りにくい文章だと思いますが、お力を貸していただけると幸いです。 ディズニーとアメリカ文化の関係について、レポートを書いているのですがいくつか疑問点があります。 よかったら皆さんのご意見を参考にさせてください。 ディズニーの童話を元にした長編アニメ(白雪姫、シンデレラ、ピノキオ、リトル・マーメイドなど)は原作のストーリーを細かく変更して、人々に受けいれ安い話に変えています。 それは成功して、日本でもディズニーの長編アニメはまるで原作のように思われているほど親しまれている(原作を知らない人が多い)と思うのですが、アメリカでもディズニーの長編ア... A ベストアンサー アメリカに住んでいたことがあります。 まず前提として、日本はアジアの片隅にある島国で隣には4千年の歴史を有する中国大陸があり、日本自体も1500年以上の歴史を有しているのに対して、アメリカ合衆国はピルグリムファーザーがメイフラワー号に乗ってやってきてから200年強の歴史しかなく、また人種も移民により雑多ですから元になる文化や宗教も様々なところの影響を受けている、という違いを考慮する必要があります。 >アメリカでもディズニーの長編アニメは同じようにまるで原作のように親しまれているのでしょうか? 日本が大陸から影響を受けた童話もたくさんありますが、たとえば織姫と彦星の七夕の話や、干支の話(ねずみが牛の背中に乗って一番乗りした話)などがあります。 これらは中国大陸の地方によっても若干異なるストーリーがあるのですが、もちろん日本も元々の話とは若干違っており、日本の文化に合うように話が変化しています。 アメリカは自国に「文化的ルーツが無い」と自覚している国ですので、まさにディズニーの物語はアメリカの御伽噺として原作並みの扱いを受けているといえます。 もちろん教養の高い知識層は原作のルーツがいろいろな国にあることを知っていますが、それでもディズニーが編集したストーリーはアメリカが原作だ、と思っていることでしょう。 なぜアメリカ人がこのように思うかと言うと、オリジナルのものをアメリカで受け入れられるように修正を加えているからです。 特にアメリカは日本と違って宗教的なタブーも多く存在しますし、なによりも様々なルーツを持つ移民がそれぞれの源流となる文化、価値観に反せずに受け入れられるように修正が必要だったからです。 この修正によって、さまざまな国の童話がアメリカのみならず、世界中に広まることが出来るようになったわけで、アメリカ人がディズニーの童話をアメリカ原作としても、ある意味適正な表現と言えます。 また、日本でも同様な修正は行われており、たとえば孫悟空に出てくる沙悟浄は、日本では河童ということになっていますが、もちろん中国には河童はいませんので、日本で親しみやすい様に変化させたわけです。 しかし、河童では世界中で親しむようにはなりませんので、ディズニーの修正は原作を越える力を持っている、と言える部分もあるのです。 このようなビジネスに関わらない一般的なアメリカ人にとっては世界=アメリカ合衆国、なのが現状であり、アメリカ人ほど世界を意識しない内向きの国民も珍しいのです。 日本でも外国から「MANGAは素晴らしい!!」と言われて初めて漫画も文化だと気づいたように、アメリカ国内ではディズニーは「子供のためのもの」(漫画も日本でも同じ言い方ですよね)なのです。 親しみ方、という点ではアメリカ人はディズニーにどっぷり浸かって幼児期を過ごしますので、必然的にディズニーがアメリカ文化に与える影響は大きいのだと思います。 しかしそれは外国の視点で見ない限り、それに気づかないのではないでしょうか。 日本も同様に、日本文化とアニメが融合しても外国の目から見ないと、それと気づきません。 一例ですが「日本のアニメ等には見得きりがある」のです。 日本のヒーローは必ず見得を切ります。 時代劇ですが桃太郎侍の「桃から生まれた桃太郎」は有名ですね。 ところがスパイダーマンもバットマンも見得を切りません。 日本人が歌舞伎などの影響で「主役は見得を切るもの」と思っているからなのです。 これは比較して初めて意識することで、ディズニーアニメしかないアメリカでは文化もナニも、ディズニーはまさに当たり前の空気のごとき存在だと思います。 まあ日本ならサザエさんとかドラえもんがそれに近いでしょうが、この二つを日本の文化の筆頭にあげたり「日本のアニメは見得を切る」ことを日本文化として紹介したら、普通の日本人は首をかしげますよね。 そのぐらい浸透しているのがディズニーであり、日本とはまったく違うのです。 アメリカに住んでいたことがあります。 まず前提として、日本はアジアの片隅にある島国で隣には4千年の歴史を有する中国大陸があり、日本自体も1500年以上の歴史を有しているのに対して、アメリカ合衆国はピルグリムファーザーがメイフラワー号に乗ってやってきてから200年強の歴史しかなく、また人種も移民により雑多ですから元になる文化や宗教も様々なところの影響を受けている、という違いを考慮する必要があります。 >アメリカでもディズニーの長編アニメは同じようにまるで原作のように親しまれているの...

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千と千尋の神隠し【謎解き・考察】~宮崎駿が伝えたかった事~

千と千尋 神様 よきかな

C スタジオジブリ 性別 男性 年齢 100歳以上? 性格 優しい 正体 名のある川の神様 声優 はやし・こば オクサレ様のそれぞれの項目について解説していきます。 オクサレ様の見た目 オクサレ様の見た目は全身にヘドロを纏い、ヘドロの隙間からは紫色の液体を出しています。 全身だけではなく息からも異臭が漂っています。 身体を引きずるようにして進み、初め千尋に渡したお金もヘドロまみれで原型は留めておらず、思わず笑顔が引きつり鳥肌が立ってしまうほど。 背丈は大きく、オクサレ様を出迎えに来ていた千尋と湯婆婆も見上げてしまうほどです。 千尋がお湯を出したことによって頭から薬湯を浴び、ヘドロが落ちたあとの姿は女性と言うよりも男性の顔であるため、性別も男だと判断しても問題ありません。 年齢についても名のある川の神様であることから、古くからある川であることが推測できるので100歳以上だと考えられます。 オクサレ様とハクの関係 オクサレ様が油屋を訪れたとき、はの印鑑を盗みに行っていたのか登場しません。 しかし、この2人には共通点があるのです。 それは2人とも川の神様であることです。 ハクはコハク川の神様で、オクサレ様の正体は名のある川の神様。 そして、川の神様に共通しているのは2人とも竜の姿になるのです。 オクサレ様が竜の姿になったとき、まだハクが竜の姿になれることは作中で明らかにされていませんので、オクサレ様の登場は伏線の意味も考えられます。 オクサレ様の性格 オクサレ様は優しい性格だと言えます。 それが分かるシーンが、千尋が足を滑らせて誤ってヘドロまみれの湯船に頭から入ってしまったシーンです。 動くのもやっとのヘドロが敷き詰められた大湯では、湯船の中ももちろん身動きが取れないほどヘドロまみれで千尋は動くことができませんでした。 そのときに千尋のことを見捨てず、そっと救いの手を差し伸べたのは誰でもないオクサレ様でした。 そして、自分を助けてくれたお礼に千尋にだけニガダンゴを差し出すのです。 オクサレ様の正体 オクサレ様の正体は、名のある川の神様です。 神様の中でも名がある存在なのに、どうしてゴミまみれになってしまったのか。 それは現代社会の実情を表していると言われています。 コミカルに描きながらもポイ捨てや不法投棄が増えることによって自然が破壊されることを描いた宮崎駿監督の訴えは考えさせられるものがあります。 オクサレ様の声優 C スタジオジブリ オクサレ様の正体でもある川の神様の声優を担当したのは、作曲家のはやし・こばさんです。 油屋を訪れたオクサレ様ですが短い登場シーンでもしっかりと存在感をアピールしており、声優を担当したはやし・こばさんの本業は作曲家であり、声優としての出演は千と千尋の神隠しが初めてでした。 2016年に80歳で敗血症のため亡くなってしまいましたが、河の神様のシーンは今でも千と千尋の神隠しの名シーンとして語り継がれています。 オクサレ様の名シーン オクサレ様の名シーンについて解説していきます。 オクサレ様は千尋が初めて接客したお客様であり、千尋にとっても油屋にとっても印象的なお客様です。 油屋にやってきたシーン.

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